作成: 2007/08/31 西村 実
データ番号 :020282
イネ種子貯蔵タンパク質組成突然変異体の育種的利用
目的 :突然変異利用による米タンパク質の改変
放射線の種別 :ガンマ線
放射線源 :60Co線源(44.4TBq)
線量(率) :15Gy/h
利用施設名 :農業生物資源研究所、放射線育種場
照射条件 :風乾種子を大気中で照射
応用分野 :イネ育種、医療、遺伝学
概要 :
水稲新品種「エルジーシー活」と「エルジーシー潤」は、種子貯蔵タンパク質のグルテリンが減少した突然変異体由来の品種「エルジーシー1」にガンマ線照射により得られた26kDaグロブリンが欠失した突然変異体を交配して育成された品種である。両品種ともにグルテリンは「エルジーシー1」よりさらに減少し、26kDaグロブリンが完全に欠失している。その結果、易消化性蛋白質は通常品種の約1/2近くまで減少している。
詳細説明 :
米の主成分はでんぷんであり、米食民族にとって重要なカロリー源であるが、米は同時に重要なタンパク質源でもある。日本人は全摂取タンパク質の約15%程度を米タンパク質に依存している。白米の7%前後がタンパク質である。タンパク質はその溶媒画分に基づいてアルブミン、グロブリン、グルテリンおよびプロラミンに分類される。タンパク質組成を比較的簡便に調べるにはポリアクリルアミド電気泳動法(SDS-PAGE)が用いられる(図1)。米のタンパク質はその大部分がプロティンボディ(タンパク質顆粒PB)に局在し、液胞起源のPBUにはグルテリンやグロブリンが、一方、粗面小胞体起源のPBTにはプロラミンが主要な貯蔵タンパク質として集積する(参考資料1)。PBTは断面が木の年輪に似ているのに対し、PBUはPBTより大きく、数も多く、断面は年輪を示さない(図2)。ペプシンに対して PBUは易消化性を、PBTは難消化性を示すためヒトに摂取された場合、PBTは未消化のまま排泄される(参考資料2)。
図1 イネの品種および突然変異系統の種子貯蔵タンパク質のSDS-PAGE像
図2 タンパク質顆粒PBTとPBUの電子顕微鏡写真(左から順にコシヒカリ、LGC1、LGC潤)
腎臓病は年々増える傾向にあり、その主な原因は高齢化による腎臓機能の低下と糖尿病の合併症としての糖尿病性腎症の増加があげられる。腎臓病が進行し、腎臓がほとんど機能しなくなった場合には血液透析療法が行われる。腎臓の異常はタンパク尿や血尿、あるいは尿素窒素やクレアチニンなどの老廃物が血液中にたまってくることによって発見できるが、こうした異常が見つかった場合の処置の一つとしてタンパク質の摂取量の制限がある。これはタンパク質の摂取量が多いとネフロンの障害を進行させるため、タンパク質の摂取量を制限して腎臓病の進行を遅らせる方法である。それにより透析療法の導入を遅らせることが期待できる。エルジーシー1(LGC1)は水稲品種ニホンマサリにエチレンイミン(EI)処理をすることによって得られた低グルテリン突然変異体NM67に原品種ニホンマサリを戻し交配して育成された品種である(原論文1)。LGC1は易消化性であるグルテリンが1/2以下に減少し、難消化性のプロラミンが2倍程度に増加した品種である(表1)。LGC1を実質的な低タンパク質米として、タンパク質摂取が厳しく制限されている腎臓病患者の食事療法用主食としての実用性について臨床試験を実施した。腎機能障害の進行を1/血清クレアチニン(1/Cr)の傾きによりLGC1の使用前後で比較したところ、LGC1の使用量が精白米として120〜180g/日の患者では1/Crの傾きの遷延化が認められた(原論文1、2)。
図3 イネ種子貯蔵タンパク質組成に関する品種の系譜図
表1 イネ種子貯蔵タンパク質組成の品種間差異
LGC1, LGC活, LGC潤およびコシヒカリの白米の栄養学的特性
| 品種名 |総タンパク |易消化性タンパ|グルテリン |26kDa グロブ |プロラミン | 食味 |
| |質含有量 |ク質*1 (% 全|(% 全タンパク|リン (% 全| (% 全| |
| |(% 乾物重比) |タンパク質比) |質比) |タンパク質比)|タンパク質比)| |
| LGC1 | 7.5 | 55.1 | 22.1 | 14.1 | 44.9 | 中中 |
| LGC活 | 7.6 | 37.8 | 13.4 | 0.0 | 62.2 | 中中 |
| LGC潤 | 7.7 | 40.6 | 16.5 | 0.0 | 59.4 | 中上 |
|コシヒカリ| 7.5 | 74.6 | 47.5 | 9.4 | 25.4 | 上中 |
*1) 13kDaおよび16kDaプロラミンを除いた比率
LGC1のグルテリン含量は通常米に比べて1/2以下に低くなっており、易消化性タンパク質全体ではかなり低くなっているが、タンパク質全体に占める割合が比較的低い26kDaグロブリン含量は増加しているため、まだ易消化性タンパク質を下げる余地が残されていた(表1)。このような観点から、LGC1に26kDaグロブリン欠失突然変異系統89WPKG30-433(コシヒカリの白穂突然変異体にガンマ線照射して得られた突然変異系統)を交配して2003年に「エルジーシー活(LGC活)」および「エルジーシー潤(LGC潤)」が育成された(図3)。これらの品種は通常品種に比べて1/3程度に易消化性タンパク質のグルテリンが減少し、難消化性タンパク質のプロラミンが約2.5倍程度に増加している。一方、易消化性タンパク質の26kDaのグロブリンは完全に欠失している。その結果、これらの系統は易消化性タンパク質が通常品種の半分程度のレベルまで減少しており、医療関係者から求められていた50%の低タンパク質化をほぼ達成しており(表1、図1)、LGC1以上の低タンパク質の効果が期待される。LGC活は東北南部から温暖地北部に適応性をもつ早生品種である。一方、LGC潤はLGC1の食味を1ランク改良した品種で温暖地に広く適応する中生品種である(原論文3)。
コメント :
本研究は医療利用という生産物(米)の新しい利用場面を切り開き、米生産者や医療関係者に大きなインパクトを与えるとともに将来において新たに育成される他の新機能性作物の「さきがけ」となるものである。また、本研究の新規性は放射線や化学変異剤で誘発した突然変異体の利用による新機能性品種の開発のみならず、その原因となる遺伝子機能の分子レベルでの解明という基礎研究にまで及ぶものであり、育種学に求められている今日的先進性と方向性を示すものである。
原論文1 Data source 1:
イネ低グルテリン系統LGC1の育成と腎臓疾患患者の食事療法への適用
西村実
農業生物資源研究所
農業技術 55巻:466-469(2000)
原論文2 Data source 2:
保存期慢性腎不全の食事療法における低タンパク質米の有用性
望月隆弘*・原茂子**
*亀田総合病院、**虎ノ門病院
日腎会誌 42(1):24-29(2000)
原論文3 Data source 3:
New rice varieties with low levels of easy-to-digest protein, 'LGC-Katsu' and 'LGC-Jun'
Nishimura,M.,M.Kusaba,K.Miyahara,T.Nishio,S.Iida,T.Imbe and H.Sato
National Institute of Agrobiological Sciences
Breeding Science 55:103-105(2005)
参考資料1 Reference 1:
Isolation and characterization of protein bodies in the rice endosperm
Tanaka,K.,T.Sugimoto,M.Ogawa and Z.Kasai
Kyoto Prefectural University
Agric.Biol.Chem.44:1633-1639 (1980)
参考資料2 Reference 2:
Purification of protein body-I of rice seed and its polypeptide composition
Ogawa,M.,T.Kumamaru,H.Satoh,N.Iwata,T.Omura,Z.Kasai and T.Tanaka
Kyoto Prefectural University
Plant Cell Physiol. 28:1517-1528 (1987)
キーワード:易消化性タンパク質、イネ、グロブリン欠失、種子貯蔵タンパク質、食事療法、タンパク質顆粒、低グルテリン、突然変異育種法、慢性腎不全
easy-to-digest protein,rice,lack of globulin,seed storage protein,diet therapy, protein body,low glutelin,mutation breeding,chronic renal failure
分類コード:020101, 020301, 020501