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作成: 2006/08/20 永井康介

データ番号   :040319
陽電子消滅ガンマ線の同時計数ドップラー拡がり測定法
目的      :電子運動量分布測定による、格子欠陥・ナノ析出物等の陽電子消滅サイトの元素分析
放射線の種別  :陽電子(入射)、ガンマ線(検出)
放射線源    :22Na(100kBq 〜 1GBq)、電子加速器(〜100MeV、〜10μA)他
フルエンス(率):試料に入射する陽電子強度105〜106 s-1
利用施設名   :東北大学金属材料研究所をはじめ、世界各国の陽電子消滅実験研究施設(大学、国立研究所他)
応用分野    :欠陥周囲の元素分析、ナノ析出物の元素分析、高分子中の極性基分析、電子構造解析

概要      :
 陽電子消滅同時計数ドップラー拡がり測定法は、陽電子が2光子消滅して放出される消滅γ線のエネルギーを精密同時測定することによって、内殻電子の運動量分布の測定を行う手法である。内殻電子の運動量分布は元素固有であるため、陽電子の消滅相手の電子が属する元素の同定が出来る。陽電子は、対消滅の前に熱化・拡散し、特定のサイトに捕獲される性質を持つため、空孔と不純物や溶質が結合した複合体、結晶中に埋め込まれたナノ析出物等の陽電子捕獲サイトの元素分析が可能である。

詳細説明    :
 陽電子が物質中の電子の1つと2光子対消滅するとき、消滅前後のエネルギーと運動量の保存則よって、2本の消滅γ線のなす角(2πからのずれをθとする)とエネルギー(E1,E2)が決まる。図1(a)のように、陽電子・電子対の運動量のγ線に垂直方向成分をPT、γ線方向成分をPLとおくと、エネルギーは、


となる(m:電子の静止質量、c:光速、EB:電子の束縛エネルギー)。 (1)式又は(2)式のどちらか一方を利用して、2本のうち一方の消滅γ線のエネルギー分布を測定することにより、PL方向の運動量分布を得る方法が通常のドップラー広がり法である(図1(b)参照)。は正確には消滅した陽電子・電子対の運動量であるが、通常の場合、陽電子は充分熱化した後消滅するので、ほぼ電子の運動量と考えて差し支えない。
 内殻電子は原子核近傍に束縛されているため、不確定性原理により、運動量は高い成分をもつ、すなわちその分布は伝導電子に比べて幅広い分布となる。また、陽電子は同じ正電荷を持つ原子核の付近にはあまり近づけないので、陽電子が内殻電子と消滅する割合は伝導電子のそれと比べてかなり小さい。このため、内殻電子の運動量分布を測定するためには、十分にバックグラウンドの低い運動量分布の測定が必要である。
 しかし、消滅γ線の片方だけを測定する通常のドップラー拡がり法では、バックグラウンド(図2右図の‘without coincidence’とあるグラフの平坦な部分)が高く内殻電子を精度よく測定することは難しい。この場合の高エネルギー側にバックグラウンドの主因は、22Naを陽電子源とする場合には1.28MeVγ線のコンプトン散乱、低エネルギー側のバックグラウンドには、それに加えて半導体検出器内で生成した荷電を100%集めきれかかった(incomplete charge collection)現象による裾引き(tailing)が原因である。
 
 これを解決する方法が、2本のγ線のエネルギーを同時計測する(図1(c)参照)ドップラー広がり(Coincidence Doppler Broadening of Positron Annihilation: CDB)法で、バックグラウンドを通常のドップラー広がり法に比べて約3桁減らすことができる(原論文1,2)。(1)式と(2)式より、2つのγ線のエネルギーの和は、


で束縛エネルギーを除いて一定になるが、この条件下で2つのγ線のエネルギーの差を取ると、


となり、再びγ線方向の運動量を測定できる。これがCDB法の原理である(図2(a)参照)。図2(b)に通常のドップラー広がり法とCDB法によるスペクトルの違いを示す。横軸は運動量であるが、内殻電子の運動量分布を反映するのは15×10-3 mc(10-3 mc = 0.137a.u.)以上の運動量領域(以下、高運動量領域と呼ぶ)である。消滅γ線の同時計数を取ることによって、初めて内殻電子を識別して測定することが可能になることがわかる。CDBによって、陽電子の消滅相手となっている電子がどのような原子に所属しているのかを識別する化学の能力も持つようになったと云える。


図1 同時計数ドップラー広がり測定法の概念図
(a) 陽電子・電子の2光子対消滅
(b) 通常のドップラー広がり法
(c) 同時計数ドップラー広がり法



図2 同時計数ドップラー広がりデータ(試料は純Fe)
(a)2台の半導体検出器による2次元データ。赤線がE1E2=2mc2 を示す。この線上の分布が運動量に比例する(E1E2cpL )。E1=511keV, E2=511keV線上に分布しているバックグラウンドの影響のない運動量分布が測定できることがわかる。
(b)通常のドップラー広がり法と同時計数ドップラー広がり法の比較。同時計測によりバックグラウンドが3桁程度低下していることがわかる。

 CDBスペクトルの実際の解析では、その比率曲線:


を用いる(原論文2)。これはスペクトル全領域の総カウントで規格化された各CDBスペクトルN(PL)を、基準となる元素固体のCDBスペクトルN0(PL)で割り算したものである。高運動量領域においてR(PL)が一定であれば、陽電子は基準とした元素のみと消滅していることを示し、一定でなければ、基準とした元素以外の元素と消滅していることを意味する。高運動量領域の比率曲線の形状は元素固有であり、その形状から陽電子が消滅する相手の元素の同定が可能となる。図3に様々な元素の比率曲線を示す(基準はFe)。なお、基準とする元素は、通常、調べている系の主成分にする(Fe合金ならばFe、Al合金ならばAl等)が、どの元素を見たいかによって、適切に選択するとよい。


図3 様々な元素のFeに対する比率曲線
高運動量領域の形から元素を同定する。

 陽電子は、対消滅の前に熱化・拡散し、特定のサイトに捕獲される性質を持つため、空孔型欠陥、特に空孔に不純物や溶質が結合した複合体(参考資料1,2)、結晶に埋め込まれれたナノ析出物(参考資料2,3)、高分子中の極性基分析(参考資料4)等の陽電子捕獲サイトの元素分析が可能である(原論文3−5)。
 例として、図4(a)に中性子照射したFe-0.3wt.%Cu合金、および照射後450℃で焼鈍した同合金のFeを基準にした比率曲線を示す。照射後、高運動量領域にCu電子との消滅による25×10-3 mc付近の幅の広いピークが見られる。また、低運動量領域が増大し、それを補うように高運動量領域が全体に低下している。これは陽電子が空孔型欠陥に捕獲されていることを示す(空孔型欠陥の寸法等の情報は、陽電子寿命法によって詳細に得ることが出来る)。これらの結果から、中性子照射によって形成したナノボイドの内表面はCuで覆われていることがわかる(図4(b)参照)。照射後焼鈍すると、低運動領域の増大と高運動量領域の低下は無くなり、バルク純Cuの比率曲線に近くなる。これは、ナノボイドが消失し、欠陥を含まないCuナノ析出物が形成し(そこに陽電子が捕獲され)たことを示す(図4(b)参照)。


図4 Fe-Cu合金の例
(a) 中性子照射したFe-0.3wt.%Cu合金、および照射後450℃で焼鈍した同合金のFeを基準にした比率曲線。参考のため、純Cuの比率曲線も示す。
(b) Cuで覆われたナノボイド(下)とCuナノ析出物



コメント    :
 同時計測によって、高運動量領域の測定が可能になることは、原論文1によって30年程前に見いだされていたが、これが陽電子による元素分析法として用いられるようになったのは、原論文2による10年程前からである。
 優れた元素分析法は数多く存在するが、物質内部の特定のナノスケールのサイト(空孔型欠陥、欠陥と不純物や溶質原子との複合体、埋め込まれたナノ析出物、高分子中の極性基分析等)の元素分析が出来る手法は、この陽電子を用いた方法以外ほとんど存在しない。
 一般的に、CDB法における元素分析感度は、元素間の内殻電子構造(運動量分布)の差異で決まるため、原子番号が離れている元素、特に周期律表で異なる周期の元素に対して高感度になる。
 この手法の困難な点は、様々な元素が複雑に混在する系や、陽電子捕獲サイトが複数存在する場合に分離が難しい点である。これらを解決するには、陽電子寿命測定や陽電子以外の測定法と組み合わせることが必要である。

原論文1 Data source 1:
Positron-Annihilation Momentum Profiles in Aluminum: Core Contribution and the Independent-Particle Model
K. G. Lynn, J. R. MacDonald, R. A. Boie, L. C. Feldman, J. D. Gabbe, M. F. Robbins, E. Bonderup, J. Golovchenko
Brookhaven National Laboratory
Phys. Rev. Lett., 38, 241-244 (1977)

原論文2 Data source 2:
Increased elemental specificity of positron annihilation spectra
P. Asoka-Kumar, M. Alatalo, V. J. Ghosh, A. C. Kruseman, B. Nielsen, K. G. Lynn
Brookhaven National Laboratory
Phys. Rev. Lett., 77, 2097-2100 (1996)

原論文3 Data source 3:
埋め込みナノ粒子の陽電子消滅法による解析
永井康介、長谷川雅幸
東北大学金属材料研究所
日本分析化学会「ぶんせき」7巻374-381 (2003)

原論文4 Data source 4:
陽電子をプローブとしたナノ・サブナノスケールの局所分析
永井康介、長谷川雅幸
東北大学金属材料研究所
まてりあ(日本金属学会報)44巻8号667-673 (2005)

原論文5 Data source 5:
自己探索プローブである陽電子による物質内部のナノ領域分析
永井康介、長谷川雅幸
東北大学金属材料研究所
日本物理学会誌 解説 60巻11号842-849 (2005)

参考資料1 Reference 1:
Role of Vacancy-Solute Complex in the Initial Rapid Age Hardening in an Al-Cu-Mg Alloy
Y. Nagai, M. Murayama, Z. Tang, T. Nonaka, K. Hono, M. Hasegawa
Institute for Materials Research, Tohoku University
Acta Mater. 59, 913-920 (2001)

参考資料2 Reference 2:
Irradiation-induced Cu aggregations in Fe: An Origin of Embrittlement of Reactor Pressure Vessel Steels
Y. Nagai, Z. Tang, M. Hasegawa, T. Kanai, M. Saneyasu
Institute for Materials Research, Tohoku University
Phys. Rev. B. 63, 134110-1~5 (2001)

参考資料3 Reference 3:
Positron confinement in ultrafine embedded particles: Quantum-dot-like state in Fe-Cu
Y. Nagai, M. Hasegawa, Z. Tang, A. Hempel, K. Yubuta, T. Shimamura,Y. Kawazoe, K. Kawai, F. Kano
Institute for Materials Research, Tohoku University
Phys. Rev. B. 61, 6574-6578 (2000)

参考資料4 Reference 4:
Direct Evidence of Positron Trapping at Polar Groups in a Polymer Blend System
Y. Nagai, T. Nonaka, M. Hasegawa, Y. Kobayashi, C. L. Wang, W. Zheng, C. Zhang
Institute for Materials Research, Tohoku University
Phys. Rev. B. 60, 11863-11866 (1999)

キーワード:陽電子、ドップラー広がり、運動量分布、元素分析、格子欠陥、ナノ析出物、埋め込みナノクラスター、同時計測、低バックグラウンド、広運動量領域、内殻電子
Positron, Doppler broadening, momentum distribution, elemental analysis, defect, nano precipitate, embedded nano cluster, coincidence measurement, low background, wide momentum region, inner shell electron
分類コード:040501,040102

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