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作成: 2005/12/20 髭本 亘

データ番号   :040316
高感度局所磁気プローブとしてのミューオンを用いた物質研究
目的      :高感度内部磁場検出による量子物性発現機構の解明
放射線の種別  :正(負)ミュオン(入射)、(陽)電子(検出)
放射線源    :陽子加速器(典型値:500MeV,9μA)、標的C、Be。π±→μ± + νμ(反νμ)
フルエンス(率): 103-104/(cm2・s)(KEK-MSLの場合)
利用施設名   :KEK-MSL(高エネルギー加速器研究機構ミュオン科学実験施設;日本)、JPARC(日本、建設中)、RAL(イギリス)、TRIUMF(カナダ)、PSI(スイス)
照射条件    :真空中-30kbar、5mK-1000K、0-7T(KEK-MSLの場合)
応用分野    :材料特性評価、水素状原子の状態評価、生命科学、化学、元素分析

概要      :
 スピン偏極した不安定粒子のミュオンを局所的な磁気プローブとした物質研究手法には、ミュオンスピン-緩和法、回転法、共鳴法などがあるが、まとめてμSR法と呼ばれる。その磁場に対する感度の高さや測定できる時間領域の独自性(相補性)(10-5〜10-9秒)などの利点を生かした利用が物性物理学のみならず、工業材料や生体物質などを対象として広い分野で行われている。典型的な応用例として超伝導体、半導体、磁性体に対してμSR法を適用した研究を紹介する。

詳細説明    :
 プローブとなる偏極ミュオン(μ±)は、500MeV程度の高エネルギー陽子を標的の炭素やベリリウムに照射して、パイオン(π±)発生させ、その崩壊(寿命:26ns)の産物として発生させる。この偏極ミュオンは外部から高速イオンとして試料中に導入できるため、凝縮体科学のみならず、ソフトマターや生体物質を扱う科学など、広範囲な分野で活用されている。
 ミュオンμ±は不安定で(寿命:約2.2x10-6)、(陽)電子とニュートリノに崩壊する。この崩壊の際に、ミョオンの偏極を反映した方向に高エネルギーの(陽)電子(最大52MeV)が放出されるので、磁気影響を検出する優れたプローブとなる。
 ミュオンを用いた研究の利点は色々あるが、例えばその感度の高さは他の手法を凌駕しており、0.001μB程度の小さな磁気モーメントが作る磁気秩序も検出することが可能である。また、磁気的な揺らぎなどの動的現象を検出する場合、独自な観測時間領域(10-5〜10-9秒)を持ち、中性子散乱法(10-9〜10-12秒)や核磁気共鳴法(>10-4秒)などと互いに時間領域を補完する。ここではいくつかの実例を示す。


図1 Zero-field μSR spectra in PrOs4Sb12 measured across the superconducting transition temperature Tc=1.82 K. The corrected asymmetry was obtained by subtracting the temperature-independent contribution from the silver plate of sample holder (0.057). The curves are fitted to a theoretical model given in reference 1. The relaxation rate becomes higher below Tc.
(原論文1より引用。 Reprinted figure from: Y. Aoki, A. Tsuchiya, T. Kanayama, S. R. Saha, H. Sugawara, H. Sato, W. Higemoto1, A. Koda, K. Ohishi, K. Nishiyama, and R. Kadono. Time-reversal symmetry-breaking superconductivity in heavy-fermion PrOs4Sb12 detected by muon-spin relaxation. Physical Review Letters, 91, 067003 (2003). Figure 1. Copyright (2003) by the American Physical Society.)

 最初に超伝導研究への応用を述べる。超伝導体に対してはμSR法により主として

(1)物質内部の磁場侵入長の絶対値、及び温度・磁場依存性

(2)ナイトシフトによる超伝導電子対のスピン対称性

(3)クーパー対の内部磁場形成による時間反転対称性の破れの有無

(4)混合状態における磁束コアの大きさ

といったことを知ることが出来る。ここではこのうち(4)について述べる。時間反転対称性は超伝導状態における対称性の一つであり、その検出に際しては厳密な意味で零磁場の条件下の測定が必要であり、その意味でμSRに勝る手法はない。特に、フォノン以外の要因によるクーパー対の形成を想定する非BCS超伝導体では、クーパー対のスピン成分Sと軌道成分Lがゼロにならない一般的な状態まで考慮する必要があり、加えて時間反転対称性が破れる場合がある。これはクーパー対の軌道やスピンが試料結晶の一方向に揃った状態にあることを示しており、超伝導と磁性が共存する、極めて特異な状態にあることになる。
 図1はその具体例を示すものであり、PrOs4Sb12の零磁場下でのμSR(ミュオン緩和)スペクトルである。超伝導転移温度のTc(〜1.8K)よりも低温では、スピン偏極の崩れるまでの時間(緩和時間)が速くなっており、内部磁場が生じていることがわかる。この物質はもともとが非磁性であることを考えると、これはクーパー対そのものが作る内部磁場である。即ち時間反転対称性の破れた超伝導状態が実現しているものと考えられる。このような内部磁場は極めて小さなものであり、かつ試料を微視的に見ないと検出不可能であるため、これまでμSR以外では時間反転対称性の破れた超伝導状態は検出されていない。


図2  Frequency spectra obtained by the maximum entropy method for ZnO at (a) 7.0 K with TF=4 mT perpendicular to [0001] axis, and those at different temperatures (b)-(d) with TF=27mT 45°tilted to the [0001] axis.
(原論文2より引用。 Reprinted figure from: K. Shimomura, K. Nishiyama, and R. Kadono. Electronic structure of the muonium Center as a shallow donor in ZnO. Physical Review Letters, 89, 255505 (2002). Figure 3. Copyright (2002) by the American Physical Society.)

 次の例は半導体中における水素の状態を探った例である。半導体などでは正ミュオン(μ)は物質中の電子と束縛状態(ミュオニウムと呼ばれる)を作ることがある。これは水素の同位体として扱うことができるため、この状態を詳しく調べることで物質中の水素の状態を模擬できることになる。放出された陽電子を検出する放射線計測に基礎を置いているため、他の測定では不可能なほどの極低濃度の水素の状態を調べることができるので、水素間の相互作用などを考慮する必要がない。
 図2はZnOのμSR信号をフーリエ変換したものである。ここでは3本のピークが見え、中心がミュオンがそのままの状態で回転している状態の信号を、その左右に対称的な位置に存在しているピークがミュオニウムからの信号をそれぞれ示す。これらのピークの間隔からミュオンと電子の結合定数が非常に小さなものであることが分る。さらに、この温度依存性を調べることで、ミュオニウムの伝導帯への励起に必要とされるエネルギーは数meVと大変小さいことが分り、異方性を考え合わせることでミュオニウム、即ち水素は不純物としてではなく、ドナーとしてn型伝導に寄与していることを示している。


図3  Temperature and magnetic field dependence of 1/T1 in YbRh2Si2 as measured by 29Si NMR [29(1/T1)] and μSR [LF(1/T1)]. The left-hand and right-hand scales are for 29(1/T1) and LF(1/T1), respectively. The two scales are normalized to each other according to an equation given in reference 3.
(原論文3より引用。 Reprinted figure from: K. Ishida, D.E. MacLaughlin, Ben-Li Young, K. Okamoto, Y. Kawasaki, Y. Kitaoka, G.J. Nieuwenhuys, R.H. Heffner, O.O. Bernal, W. Higemoto, A. Koda, R. Kadono, O. Trovarelli, C. Geibel and F. Steglich. Low-temperature magnetic order and spin dynamics in YbRh2Si2. Physical Review B 68, 184401 (2003). Figure 9. Copyright (2002) by the American Physical Society.)

 最後の例は遍歴電子系物質(局在していない電子を有する金属等をいう)におけるスピン揺らぎの検出である。スピン揺らぎは磁性体を理解するうえで最も重要な概念であり、特に遍歴磁性体におけるスピン揺らぎは弱い強磁性スピンの理論であるSCR(Self-Consistent Renormalization)理論による説明が成功を収めているが、実験的にはスピン揺らぎを広い時間範囲で調べるためには検出可能な時間領域の異なるプローブを組み合わせる必要がある。
 図3は、μSR法及びNMR法を併用してYbRh2Si2のスピン緩和時間(T1)の測定から得た揺らぎの測定例である。低磁場領域において広い温度範囲でμSR法でしか見ることのできない高周波側のスピン揺らぎを捉えており、量子臨界点近傍のスピン揺らぎを捉えたものである。

コメント    :
 μSRは超高感度の微視的物性研究手法として多くの分野において用いられている。主として正の電荷を持つミュオンをプローブとして用いた研究が行われているが、ミュオンの量子拡散現象といったミュオン自体の状態に着目した研究も多い。またJ-PARC(共同開発事業:日本原子力研究開発機構及び高エネルギー加速器研究機構)において大強度のミュオンビームが得られるようになった暁には、物質評価手法のひとつとしてさらに幅広く用いられるようになるだけでなく、これまであまり行われていない負ミュオンを用いた測定も現実のものとなる。即ち、電子の約207倍の質量の負ミュオンは物質中でミュオン原子を形成し、実効的にホスト原子の原子番号Zを一つだけ減らした(Z-1)原子を物質中の格子位置に導入できるため、通常の化学反応では不可能な物質系でのμ-SR実験や原子核に捕獲されたミュオンが内殻に落ち込む際に放出される特性X線による元素分析なども進展するものと期待される。

原論文1 Data source 1:
Time-reversal symmetry-breaking superconductivity in heavy-fermion PrOs4Sb12 detected by muon-spin relaxation
Y. Aoki, A. Tsuchiya, T. Kanayama, S. R. Saha, H. Sugawara, H. Sato, W. Higemoto1, A. Koda1, K. Ohishi1, K. Nishiyama1, and R. Kadono1
Department of Physics, Tokyo Metropolitan University
1Institute of Materials Structure Science, High Energy Accelerator Research Organization (KEK)
Phys. Rev. Lett. 91, 067003 (2003)

原論文2 Data source 2:
Electronic structure of the muonium center as a shallow donor in ZnO
K. Shimomura, K. Nishiyama, and R. Kadono
Meson Science Laboratory, Institute of Materials Structure Science, High Energy Accelerator Research Organization (KEK)
Phys. Rev. Lett. 89, 255505 (2002)

原論文3 Data source 3:
Low-temperature magnetic order and spin dynamics in YbRh2Si2
K. Ishida1,2, D.E. MacLaughlin1 , Ben-Li Young1 , K. Okamoto2 , Y. Kawasaki2 , Y. Kitaoka2 , G.J. Nieuwenhuys3 , R.H. Heffner4 , O.O. Bernal5 , W. Higemoto6 , A. Koda6 , R. Kadono6 , O. Trovarelli7 , C. Geibel7 and F. Steglich7
1Department of Physics, University of California
2Department of Physical Science, Graduate School of Engineering Science, Osaka University
3Kamerlingh Onnes Laboratory, University Leiden
4MS K764, Los Alamos National Laboratory
5Department of Physics and Astronomy, California State University
6Meson Science laboratory, Institute of Materials Structure Science, High Energy Accelerator Research Organization (KEK)
7Max-Planck Institute for Chemical Physics of Solids
Phys. Rev. B 68, 184401 (2003)

参考資料1 Reference 1:
特集号 μSR――ミュオンスピン回転・緩和・共鳴
編集:石田勝彦・門野良典・西田信彦・西山樟生
固体物理、26、No.11 (1991)

参考資料2 Reference 2:
PrOs4Sb12における重い電子超伝導の時間反転対称性の破れ
青き勇二、髭本亘、門野良典、佐藤英行
固体物理、39、p.279 (2004)

キーワード:ミュオン、μSR、微視的測定、磁気プローブ、高感度、磁性体、超伝導体、半導体
muon, μSR, microscopic measurement, magnetic probe, high sensitivity, magnetic materials, superconductor, semiconductor
分類コード:040503

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