放射線利用技術データベースのメインページへ

作成: 2005/10/01 大平俊行

データ番号   :040312
陽電子消滅誘起オージェ電子分光
目的      :固体最表面層の元素分析、化学状態分析
放射線の種別  :陽電子(入射)、電子(検出)
放射線源    :22Na(〜1GBq)、電子加速器(70MeV, 〜10μA)
フルエンス(率):単色化された低速陽電子ビーム強度 105〜108/(cm2・s)
利用施設名   :テキサス大学アーリントン校、ブルックヘブン国立研究所、及び産業技術総合研究所の高強度低速陽電子ビーム実験施設
照射条件    :超高真空中
応用分野    :固体表面分析、表面反応(吸着、酸化、薄膜成長等)の分析

概要      :
 陽電子消滅誘起オージェ電子分光法は、10eV程度の極低エネルギーの陽電子ビームを固体表面に入射し、電子・陽電子対消滅により表面原子に内殻空孔を形成してオージェ過程を引き起こす。この手法は、固体最表面層に対する感度が著しく高く、また二次電子のバックグラウンドを除去できるなど従来の電子ビーム励起によるオージェ電子分光法にはない特徴を有する。

詳細説明    :
 オージェ電子分光法は表面原子の内殻準位をイオン化し、脱励起で放出されるオージェ電子のエネルギーから表面の元素組成や化学結合状態を調べる手法であり、従来、励起源としては数keVの電子ビームが用いられる(EAES: Electron-induced Auger-electron spectroscopy)。陽電子消滅誘起オージェ電子分光法(PAES: Positron-annihilation induced Auger-electron spectroscopy)は〜10eV程度の極低エネルギーの陽電子ビームを用い、陽電子消滅によって表面原子のオージェ過程を誘起する新しい表面分析法であり、1988年にテキサス大学のワイス(Weiss)教授らによって考案された(原論文1)。
 図1はPAES法と従来のEAES法の原理と得られるスペクトル(模式図)を比較したものである。EAESでは、エネルギー5keV程度の電子ビーム衝撃によって内殻電子をたたき出すことにより内殻準位をイオン化し、オージェ過程を引き起こす。原理的にオージェ電子のエネルギーは入射電子ビームのエネルギー以下となるため、得られるオージェ信号は電子ビームによって発生する散乱電子、二次電子の大きなバックグランドの上に重なったものとなる。これに対して、PAESでは内殻イオン化を陽電子と内殻電子とを対消滅させることにより行う。この過程はビームの運動エネルギーを全く利用しないので、試料に入射する陽電子ビームのエネルギーをオージェ電子のエネルギー以下にすることができる。これにより、二次電子等のバックグランドが全くない状態でのオージェスペクトルの測定が可能となる。


図1 Comparison of the mechanisms of core-ionisation and the Auger spectra produced in (a) EAES and PAES.(参考資料2より引用)

 PAESとEAESでは表面感度に大きな違いがある。EAESの場合、電子ビームによる内殻イオン化は試料の奥深くまで起こるので、検出深さはオージェ電子の固体内からの脱出深さで決まる。これは大体1〜3nmであり、EAESは表面数原子層をまとめて見ていることになる。これに対して、PAESは最表面の1原子層だけに極めて高い感度を示す。これは低エネルギー(〜10eV)で試料表面に入射した陽電子は、表面外側に形成される鏡像ポテンシャルにトラップされ、最終的に最表面原子の電子と対消滅するからである(原論文2)。内殻イオン化が最表面原子だけに起こるので、最表面層に限ったオージェ分析が可能となる。
PAESの難点は、RI等を用いて一般的に得られる低速陽電子ビームの強度(〜105e+/s)が、電子ビーム(>1010e-/s (>nA))等に比べて桁違いに弱いことである。このため、市販のEAES用電子エネルギー分析器による測定は困難であり、測定効率を重視した専用の装置が開発されてきた。例として、電子技術総合研究所(現:産業技術総合研究所)で開発された飛行時間分析型PALS装置を図2に示す(原論文3)。この装置ではパルス化した陽電子を試料表面に打ち込み、放出されるオージェ電子のエネルギーを検出器に達するまでの飛行時間から得る。飛行時間法の利点は、全エネルギー領域のオージェ電子を同時に検出できるので測定効率が非常に高いことである。さらにこの装置では電子加速器を用いて発生した高強度の低速陽電子ビーム(〜108e+/s)を用いることにより、1〜2分の測定時間で元素同定が可能なスペクトルが得られている(参考資料1)。


図2 Schematic of the time-of-flight PAES system.(参考資料2より引用)

 図3はPALSの最表面敏感性を利用した例であり、シリコン表面の初期酸化過程をその場測定したものである(原論文4)。超高真空中で表面を清浄にしたシリコンに酸素ガスを暴露すると、酸素オージェ信号の増加およびシリコンオージェ信号の減少が観測され、最表面原子の上に酸素が吸着したことがわかる。次に酸素ガスの供給を止めると、時間とともに酸素のオージェ信号が減少、シリコンの信号が増加していく。これは、はじめ最表面上に吸着した酸素が表面下のシリコン原子間に入り込んでいくからであり(酸化反応)、表面数原子層をまとめて観測するEAES等では検出できない現象である。


図3 Time evolutions of the PAES intensities measured during and after the exposure of Si(100) to O2. The exposure was done at an O2 pressure of 1×10-8 Torr.
(原論文4より引用。 Reprinted by permission of Elsevier from: Toshiyuki Ohdaira, Ryoichi Suzuki, Tomohisa Mikado. Surface top-layer analysis by positron annihilation induced Auger electron spectroscopy. Surf. Sci. 433-435, 239-243 (1999). Figure 3)



コメント    :
 オージェ信号のピーク形状には原子の化学結合状態の情報が含まれている。PAESはオージェスペクトルにバックグランドが無く、また表面層でのエネルギー損失の影響も受けにくいので、ピーク形状の分析に最適と考えられる。しかし、現時点では利用できる陽電子ビーム強度が不足しているため、形状分析を行うのに必要なエネルギー分解能での測定は時間がかかりすぎて実質的には不可能である。強度〜109/s以上の陽電子ビームが得られれば、PAESでもピーク形状の高分解能測定が実用となり、最表面原子の化学状態分析に利用できる。今後の高強度ビーム開発に期待したい。

原論文1 Data source 1:
Auger-electron emission resulting from the annihilation of core electrons with low-energy positrons
A. Weiss, R. Mayer, M. Jibaly, C. Lei, D. Mehl, K.G. Lynn
University of Texas
Phys. Rev. Lett. 61, 2245-2248 (1988)

原論文2 Data source 2:
Theoretical study of the application of positron-induced Auger-electron spectroscopy
Kjeld O. Jensen, A. Weiss
University of Texas
Phys. Rev. B41, 3928-3936 (1990)

原論文3 Data source 3:
Positron annihilation induced Auger electron spectroscopy with an intense slow-positron beam
T. Ohdaira, R. Suzuki, T. Mikado, T. Yamazaki
Electrotechnical Laboratory
Journal of Electron Spectroscopy and Related Phenomena 88-91, 677-681 (1998)

原論文4 Data source 4:
Surface top-layer analysis by positron annihilation induced
Auger electron spectroscopy
Toshiyuki Ohdaira, Ryoichi Suzuki, Tomohisa Mikado
Electrotechnical Laboratory
Surf. Sci. 433-435, 239-243 (1999)

参考資料1 Reference 1:
産業技術総合研究所 高強度低速陽電子ビーム実験施設
産業技術総合研究所 計測フロンティア研究部門 極微欠陥評価研究グループ
http://unit.aist.go.jp/riif/adcg/

参考資料2 Reference 2:
Positron-Annihilation-Induced Auger Electron Spectroscopy
Toshiyuki Ohdaira, Ryoichi Suzuki
National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST)
”Surface Analysis by Auger and X-ray Photoelectron Spectroscopy”, IM Publications and SurfaceSpectra Limited, 2003, pp.775-786

キーワード:陽電子、表面、鏡像ポテンシャル、オージェ電子分光、超高真空、飛行時間分析、パルスビーム
positron, surface, image potential, Auger-electron spectroscopy, ultra high vacuum, time-of-flight analysis, pulsed beam
分類コード:040102, 040403

放射線利用技術データベースのメインページへ