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作成: 2003/11/16 馬場祐治

データ番号   :040286
スピン偏極電子源の表面電子状態解析への応用
目的      :表面磁気構造解析技術の開発
放射線の種別  :電子
放射線源    :電子銃(7−20eV,2μA)
フルエンス(率):1013/(cm2・s)
利用施設名   :マンチェスター大学、大同工業大学
照射条件    :超高真空中、室温
応用分野    :表面磁気構造解析、半導体評価技術、磁気メモリー、ナノテクノロジー、

概要      :
 固体表面の磁気構造を調べるためのスピン偏極電子源の概要が報告されている。スピン偏極電子としては、円偏光を半導体に照射したときに発生する光電子を用いている。ガリウム砒素を用いた場合の偏極度の限界は50%であるが、ガリウム砒素リンの超格子を用いることにより80%まで改善した。さらにスピン偏極電子を用いた角度分解逆光電子分光法により、強磁場中に置かれたニッケルの表面磁気構造を明らかにした結果が報告されている。

詳細説明    :
 低エネルギー電子をプローブとした固体表面電子状態解析手法において、スピン偏極した電子ビームを用いることにより、磁気構造を含む電子状態を調べることができる。スピン偏極した電子の発生手法のひとつとして、ガリウム砒素などの半導体に円偏光したレーザー光を照射して電子を伝導帯に励起し、その際に発生する光電子を用いる方法がある。ガリウム砒素のバンド構造およびスピン偏極電子の発生原理を図1に示す。


図1 Section of the band structure at T=0 K of GaAs around the Γ point. At 300 K, the band gap reduces to 1.44 eV. Also shown are selection rules with transition probabilities for optical excitation with circularly polarized light from the valence band maximum (Γ8) to the conduction band minimum (Γ6). EVBN indicates the valence band maximum. Copyright 1998, American Institute of Physics.(原論文1より引用)

 バンドギャップより少し大きいエネルギーをもつ円偏光を半導体表面(図1ではガリウム砒素)に照射する。ガリウム砒素の価電子帯は3p軌道でできているが、励起先の伝導帯はs1/2軌道でできており、円偏光を照射したときの選択則により上向きのスピンと下向きのスピンで占有率に差が生じる。すなわち右向きの円偏光による光学遷移の場合、スピン量子数が-3/2から-1/2への遷移は、-1/2から+1/2への遷移の3倍の確率で起こる。光照射により発生する光電子は、1)光励起、2)励起状態の表面への移行、3)電子の真空への放出、の3ステップで起こるが、バンドギャップよりわずかに大きなエネルギーの光を照射すると、このスピン状態の不均衡が保存され、スピン偏極電子として放出される。実際にはガリウム砒素の表面をセシウムや酸素で覆うことにより負の電子親和力をもつ表面に変え励起状態の電子を放出しやすくしている。

 Schedinら(原論文1)は、他の表面分析装置と併用して用いることができる簡易型超高真空装置用スピン偏極電子源および電子ビーム制御系を開発した。電子のエネルギーは7-20 eV、エネルギー分解能は0.27 eV、電子の透過率は70 %以上、偏極度は25±5%が得られており、この装置は逆光電子分光法などに応用できることが報告されている。

 Sakaら(原論文2)は、ガリウム砒素―ガリウム砒素リン(GaAs-GaAsP)超格子を用いることにより、スピン偏極電子源の偏極度を上げることに成功した。GaAsを用いたときの偏極度の理論限界は50%であり、実用的には35-40%が限界であった。この理論限界は、GaAsの価電子帯の縮重度で決まるが、GaAs-GaAsP超格子の周期ポテンシャルにより縮退を緩和することにより、偏極度を80%まで改善することができた。図2に偏極度と量子収量の波長依存性を示す。


図2 Polarization and quantum efficiency as functions of laser wavelength for excitation. Copyright (2000), with permission from Elsevier.(原論文2より引用)

 この原論文2では、一般の半導体レーザーで容易に得られる810nm-830nmの波長範囲において80%以上の高い偏極度を得ることに成功した結果が報告されている。また、10mWのレーザー照射で810nmにおける量子収量は0.3 %、ビームカレントは20μAであり、この方法で得られたスピン偏極電子は表面磁気構造解析に有効であることも報告されている。

 さらに原論文1では、スピン偏極電子銃を用いた角度分解逆光電子分光法によりNi(110)単結晶表面の磁気構造を調べた結果が報告されている。試料周囲にコイルを置き、1msのパルスで100 Aの電流を流し試料を磁化させた時の残留磁場によるスピン状態を測定した。左右の円偏光を交互に照射し、それぞれのスピン偏極電子照射時の逆光電子分光スペクトルを測定した結果を図3に示す。


図3 ARSPIPES (angle-resolved spin-polarized inversed photoemission spectroscopy) spectra of Ni(110) recorded at an electron incidence angle of 30° using the spin-polarized electron gun and the two different photon detector combination. Closed circles correspond to data recorded with majority-spin electrons and open circles correspond to data recorded with minority-spin electrons. The total accumulated numbers of counts at the peak just above the Fermi level in the mimority-spin channel were about 60000 and 30000 for the respective detector combination. The inset shows the picture frame crystal and some of its high symmetry directions. Copyright 1998, American Institute of Physics.(原論文1より引用)

 0eV付近の一つ目のピークは白丸で示した下向きのスピン状態(minority-spin)のときしか現れておらず、バルクの3d状態への遷移によるものと考えられる。1eV付近の2つ目のピークは黒丸で示した上向きのスピン状態(majority-spin)で初めて現れることから、これはsp状のバルクバンドへの遷移によるものと考えられる。以上の様に、スピン偏極電子源を用いることにより強磁性体のNiのバンドのスピン交換分裂を明瞭に分離して観測することに成功した。

コメント    :
 固体表面の元素分布、結晶構造、電子状態などを調べる手法は近年数多く開発されている。プローブとして用いるビームは、1)イオンビーム、中性粒子ビームなどの粒子線、2)レーザー光、放射光などの光、3)電子ビームに分類できる。このうち、電子ビームはエネルギー、ビームサイズなどを自由に変えられる利点があるため、古くからオージェ電子分光法、電子線回折法、電子線プローブマイクロアナライザー、電子顕微鏡など幅広く使われてきた。しかし、一般の電子線はスピン状態がそろっていないため、表面の磁気構造に関する情報は得られない。このため磁気構造の測定は、円偏光放射光を使う磁気円二色性などの、大型施設を使った実験によって行われてきた。
 ここで報告されたスピン偏極電子源は実験室規模の簡便な装置であり、これにより表面の磁気構造を明らかにすることができる点で波及効果が大きいと考えられる。現時点では装置の開発に主眼が置かれているが、今後はこの装置を使ったさまざまな分光法が開発されることが期待できる。また、固体表面の磁気構造の測定は、磁気メモリー、量子ドット、ナノ構造解析など、ナノテクノロジー分野でも極めて重要な技術であり、この分野においても幅広い応用が期待できる。

原論文1 Data source 1:
Bolt-on Source of Spin-polarized Electrons for Inverse Photoemission
F. Schedin, R. Warburton and G. Thornton
University of Manchester, Manchester, UK
Review of Scientific Instruments, 69, 2297-2304 (1998)

原論文2 Data source 2:
Spin-polarized Electron Sources with GaAs-GaAsP Superlattices for Surface Analyses
T. Saka1), T. Kato2), T. Nakanishi3), S. Okumi3), K. Togawa3), H. Horinaka4), T. Matsuyama4) and T. Baba5)
1)大同工業大学、2)大同特殊鋼株式会社、3)名古屋大学、4)大阪府立大学、5)NEC基礎研究所
Surface Science, Vol. 454-456, pp.1042-1045 (2000)

キーワード:スピン偏極電子源、固体表面、電子構造、円偏光、ガリウム砒素、磁気構造、超格子、レーザー、電子親和力
spin-polarized electron source, solid surface, electronic structure, circularly polarized light, GaAs, magnetic structure, superlattice, laser, electron-affinity
分類コード:040501

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