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作成: 1999/01/03 三角 智久

データ番号   :040131
電子リニアック起源の低速陽電子ビームを用いる透過型陽電子顕微鏡の試作研究
目的      :高強度低速陽電子ビームの物性研究への利用
放射線の種別  :陽電子
放射線源    :電子加速器(70MeV,100mA)
フルエンス(率):108 slow positrons/s
利用施設名   :電子技術総合研究所 量子放射部 低速陽電子研究施設
応用分野    :材料(表面)の欠陥分析・評価

概要      :
 電子技術総合研究所では、電子リニアックで発生させた高強度低速陽電子ビームの物性研究への応用の一つとして透過型陽電子顕微鏡の試作を行い、低倍率ではあるが50μm程度の分解能の画像を得ることに成功した。この装置では、元来の陽電子強度が高いため、先行する米国のグループが数時間以上の露光時間を必要としていたが、20秒間程度という極めて短い時間で同様の画像が得られるようになった。その後、画像処理のアルゴリズムを開発したことによって4秒間程度に短縮することに成功した。

詳細説明    :
 電子は、各種物質を分析・評価する有力なプローブとして広く利用されているが、電子の反粒子である陽電子は、そのほとんど全ての場合に電子と置き換って利用される可能性を有している。例えば「低速陽電子線回折法 (Low-Energy Positron Diffraction)」、「陽電子エネルギー損失分光法 (Positron Energy-Loss Spectroscopy)」、「反射高速陽電子回折法 (Reflection High-Energy Positron Diffraction)」などが提案され、それらの実用化に向けて精力的な研究が続けられている。この外、陽電子ビームの分析・評価技術への応用という観点から見て重要なものに「陽電子顕微鏡 (Positron Microscope)」がある。
 陽電子をプローブとする顕微鏡としては、図1に示すように、透過型、再放出型、走査型などの方式が考えられる。図1(a)に示す透過型陽電子顕微鏡は、原理的には、透過型電子顕微鏡において与える電場を逆転させることにより、同様な画像を得ることが期待できる。この場合、陽電子は原子核で反発力を受けてその場に絡みつくことが少いため直進性が高く、透過型電子顕微鏡と較べると厚手の試料を観測することができたり、コントラストも異なり、与える情報も異なるものと考えられている。
 図1(b)に示す再放出型陽電子顕微鏡は、陽電子の仕事函数が負である試料の場合に生ずる再放出現象を利用するもので、表面近傍の格子欠陥や異種原子の付着状況などを観測することが可能である。この再放出は電子ビームでは起こり得ない現象であるため、プローブが陽電子である場合のみに考えられるタイプの顕微鏡である。図1(a)においても、試料からの再放出陽電子を観測するようにすると透過型再放出陽電子顕微鏡が実現できる。
 図1(c)に示すものはマイクロビーム化した陽電子を走査して試料から得られる二次粒子を捉えて結像させるもので、対象となる二次粒子としては二次電子、再放出陽電子、ポジトロニウム、陽電子消滅γ線、(陽電子消滅励起)オージェ電子などがある。


図1 各種陽電子顕微鏡の概念。(a)透過型顕微鏡、(b)再放出型顕微鏡、(c)走査型顕微鏡。薄膜試料では、(a)の方式の再放出顕微鏡も可能。また、(c)の方式の走査型再放出顕微鏡もある。(原論文3より引用)

 電子技術総合研究所では、電子リニアックを用いて高強度の低速陽電子ビームを発生させ、高度に制御して種々の物性研究のプローブとして活用しているが、その研究の一環として陽電子顕微鏡の試作に取り組んできた。全体の構成を概念的に示すと、図2のようになる。
 この陽電子輸送系は全長が〜22mに及ぶもので、全系を高電圧電位に保つことは不可能なため接地電位にし、観測部(図2でMCPと記してあるもの及びその直後の蛍光スクリーン)に高電圧を印加している。そして、観測部から0.5―1mほど離れた箇所にCCDカメラを設置して蛍光スクリーンに映し出される像を撮影し、画像情報をコンピューターに取り込んで処理することによって透過型陽電子顕微鏡システムを構築した。


図2 電総研低速陽電子発生・輸送装置と試作した透過型陽電子顕微鏡の構成(原論文2より引用)

 このシステムで定常的に利用できる低速陽電子ビームの強度は毎秒108個程度で、陽電子ビームとしては高強度ではあるが電流としては数十pAに過ぎず、電子顕微鏡で使用する電子ビーム強度に較べて桁違いに低いため、なんらかの方法で検出系の感度を実効的に向上させることが必要である。
 図3は、電総研で試作した透過型陽電子顕微鏡を用いて、表面に導電性塗料を塗布したMoメッシュ(75meshes/inch)を観測した画像の例である。実際に観測される画像は図3(a)のように陽電子1個に対応する点の集合で、1フレーム((1/30)秒間)だけでは顕微鏡像にはならないため、多数のフレームを積算して画像を形成する必要がある。このような場合、一般的に行われる画像処理法では、ある閾値を定めておいてそれを超える情報をメモリーに加え合せていくという手法を採っている。しかし、この方法では蛍光スクリーンが捉える陽電子による光強度にバラツキがあるため、閾値を低くするとSN比が悪化するのみならず光学系のボケが影響して分解能も悪化する。そこで閾値を高くすると分解能は改善されるが陽電子の検出効率が低下し、観測に長時間を必要とする。
 このような状況を解決するため、電総研では1フレーム毎にフィルタリング法を適用して、強度のピークを探し出して強調し均一化することによって検出効率を向上させるアルゴリズムを開発した。ここで行っているフィルタリング処理は適当なディジタルシグナルプロセッサーを用いればリアルタイム処理が可能である。このような処理をフレーム毎に行い、それを4秒間に亘って積算したものが図3(b)に示すもので、低倍率ではあるが50μm程度の分解能で、試料の形がほぼ認識できる。
 フィルタリング処理を行わずに同程度の画像を得るには、露光時間として20秒間を要する。それでも米国のグループが同様の画像を得るのに数時間もの露光時間を要しているのに較べて比較にならない短さである。新たに開発したアルゴリズムによって、観測時間を更に1/5程度に短縮できたことは、実用的な透過型陽電子顕微鏡の建設に向けて大きく歩を進めたものと言うことができる。


図3 透過型陽電子顕微鏡像。試料:モリブデンメッシュ(75mesh/inch)の一部を導電性塗料で覆ったもの。(a)1フレームの画像、(b)1フレーム毎にピークの強調及び均一化の画像処理を行い4秒間積算して得た画像、(c)、(d)、(e)1フレームの濃度分布。(c)画像処理なし、しきい値:低、(d)画像処理なし、しきい値:高、(e)画像処理後。(原論文3より引用)



コメント    :
 透過型電子顕微鏡において印加する電場の極性を逆にするだけで透過型陽電子顕微鏡は実現できるように見えるが、実際はそう単純ではない。これは陽電子が反粒子の一種であって、通常の世界では安定に存在し得ないため、必要とするときに造り出す必要があり、充分な強度を有するビームを発生させしかも素姓の良いものだけを選び出すことが困難なことによる。
 ここで紹介したものの100倍程度の強度を有する低速陽電子ビームが容易に得られるようになると、エネルギーや飛行方向の揃った陽電子ビームだけを試料に入射することが可能になり、開発した画像処理アルゴリズムを適用することによって、真に実用的な陽電子顕微鏡の建設が可能になるであろう。

原論文1 Data source 1:
電子技術総合研究所における電子加速器による低速陽電子の発生とそれによる物性研究
三角 智久*)、鈴木 良一*)、小林 慶規2*)、大垣 英明*)、山田 家和勝*)、千脇 光國*)、山崎 鉄夫*)、冨増 多喜夫3*).
*)電子技術総合研究所、2*)物質工学工業技術研究所、3*)自由電子レーザー研究所
真空, 第37巻 第12号 (1994) 970-977

原論文2 Data source 2:
電子加速器を用いる陽電子顕微鏡の開発
三角 智久、鈴木 良一
電子技術総合研究所
Isotope News, 1992年10月 No.460, p.6-9

原論文3 Data source 3:
陽電子顕微鏡の基礎実験
鈴木 良一
電子技術総合研究所
応用物理, 第63巻 第6号 (1994) p.600-603.

参考資料1 Reference 1:
電子技術総合研究所低速陽電子研究施設の概要
三角 智久*)、山崎 鉄夫*)、鈴木 良一*)、千脇 光國*)、冨増 多喜夫*)、千葉 利信2*)、赤羽 隆史2*)、塩谷 亘弘3*)、谷川 庄一郎4*).
*)電子技術総合研究所、2*)無機材質研究所、3*)理化学研究所、4*)筑波大学
放射線, Vol.15 (1988), No.2, 78-98.

参考資料2 Reference 2:
陽電子顕微鏡の開発とその将来
三角 智久、松井 重夫
電子技術総合研究所
細胞, Vol.22 (1990) 553-558.

参考資料3 Reference 3:
First Results of a Positron Microscope
J.V.House and A.Rich
U. of Michigan
Phys. Rev. Lett., Vol.60 (1988) 169-172

キーワード:陽電子、低速陽電子、透過型顕微鏡、画像処理 
positron, slow positron, transmission microscope, image processing
分類コード:040102,040203,040501

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