放射線利用技術データベースのメインページへ

作成: 2007/11/06 松橋 信平

データ番号   :020277
ポジトロン放出金属元素の植物研究への応用
目的      :ポジトロン放出核種トレーサを用いた金属元素動態の可視化
放射線の種別  :陽電子(放出)、ガンマ線(検出)
放射線源    :Fe-52、Mn-52、Zn-62(ポジトロン放出核種)
フルエンス(率):なし
線量(率)   :なし
利用施設名   :日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所TIARA
照射条件    :なし
応用分野    :植物生理学、植物栄養学

概要      :
 植物は鉄などの金属元素を土壌中より吸収し生育するが、これらの元素が欠乏すると生育障害が発生する。このため、植物による土壌中金属元素の吸収・輸送機構の解明は、農業生産性向上のための重要な課題の一つである。これまで植物体内における微量金属元素の動態観察に有効な方法が開発されていなかったが、鉄、マンガン、亜鉛などの金属元素ポジトロン放出核種が植物研究用に新たに開発され、これを利用した植物研究が実施できるようになった。

詳細説明    :
 鉄、マンガン、亜鉛などの金属元素は、植物が生育するために不可欠な元素である。これらの元素は、窒素や炭素といった植物の主要な栄養素と比較すると、必要な量は少なく微量必須元素と称されている。しかし、これらの金属元素が欠乏すると、生理機能に障害が発生し健全な生育ができなくなる。これらの金属元素は、通常広く土壌中に存在するが、土壌の状態によっては植物が吸収しづらい、あるいは利用できない化学形となっている場合には、農作物が十分量の金属源を吸収できず、生育障害を起こし、十分な収穫が得られないといった問題が生じる。このため、植物がどのように土壌中から金属を吸収し、利用しているかを明らかにすることは、農業生産のための植物栽培の課題となるが、これまで生きた植物中でのこれらの金属元素の動態を観察する手法が開発されていなかったため、分子生物学的な手法による研究の進展に比べ、個体レベルでの研究が追いついていっていない状況にあった。
 農学的な見地からもその解明が重要な課題である、植物による微量金属元素の吸収動態を研究するために、52Mn、52Fe、64Cu、62Znといった金属元素のポジトロン放出核種がトレーサとして開発され、生きた植物中での栄養成分などの動態を非侵襲でその場観察できる植物ポジトロンイメージング装置(positron emitting tracer imaging system, PETIS)を用いた可視化計測が試みられている。これらのポジトロン放出核種を植物研究に供している日本原子力研究開発機構では、AVFサイクロトロンを用いた製造法を開発している。表1に各核種の製造条件を示す。製造に利用できる核反応は、表1に示したもの以外にも存在するが、利用できるビーム条件、ターゲットの入手しやすさ、副生成物の発生など、種々の条件を総合的に検討して決定している。

表1 ポジトロン放出金属核種の製造条件

元素(核種)
半減期

利用する核反応

ターゲット

照射条件(イオン種、エネルギー)

マンガン(52Mn)
5.59日

natCr (p, xn) 52Mn

天然組成のクロム(Cr)板

H+、20MeV

鉄(52Fe)
8.28時間

natCr (a, xn) 52Fe

天然組成のCr板

4He2+、80MeV

銅(64Cu)
12.7時間

64Ni (p, n) 64Cu

濃縮64Niの酸化物(64NiO)

H+、20MeV

亜鉛(62Zn)
9.19時間

63Cu (p, 2n) 62Zn

63Cuを含む天然組成の銅(Cu)板

H+、30MeV

 塚本ら(原論文1)は、マンガン栄養状態の異なるオオムギに対し、52Mnを根から吸収させた後の動態をPETISにより追跡し、マンガン欠乏処理を施したオオムギでは、マンガンを十分に与えたオオムギに比べ、根から葉鞘へのマンガン移行量が著しく増大し、マンガン欠乏が土壌中からのマンガンの吸収と維管束への導入を促進する効果があることを明らかにしている(原論文1)。また、マンガンを過剰に与えた場合には、通常のオオムギに比べ、根から葉鞘基部へのマンガン輸送が抑制されることも明らかにしている。さらに、塚本らは、光環境の変化に対するオオムギ体内におけるマンガン輸送を詳細に解析し、マンガンを十分に与えたオオムギでは、蒸散流が抑制される暗条件下においても、最新葉へのマンガン輸送は抑制されないことを見出し、最新葉へのマンガン輸送が導管を経由しない可能性があることを示した(原論文1)。塚本らの研究からもわかるように、ポジトロン放出金属元素を用いたPETIS計測では、植物の栄養状態や光などの環境変化に対する吸収や輸送の応答がわかるだけでなく、いくつかの条件での計測を組み合わせることにより、植物個体内での詳細な輸送経路を明らかにすることも可能であり、目的とする元素を植物に効率よく吸収・輸送させ、目的とする組織へより多く蓄積させるために必要な知見の獲得への貢献が期待できる。
 石丸ら(原論文3、4)は、52Feを利用したポジトロンイメージング計測を行い、イネが3価鉄とムギネ酸類の複合体(Fe3+-phytosiderophore)だけでなく、2価鉄(Fe2+)を直接吸収する機構も有しており、これらを組み合わせて利用することにより、より有利に鉄の吸収が行えることを明らかにした。また、鈴木ら(原論文4)は、亜鉛欠乏オオムギに対し、52Feと62Znを無機イオンの形あるいはムギネ酸類とのキレート化合物の形(52Fe-MAs または62Zn-MAs)で与えてポジトロンイメージング計測を行い、オオムギがムギネ酸とキレートを形成した亜鉛をより吸収しやすいことを明らかにしている。さらに、亜鉛欠乏により誘導されるムギネ酸類の生合成と分泌は、鉄欠乏によっては誘導されないことを推察している。
 これらに関連した先行研究としては、Nakanishiら(参考資料1)やBughioら(参考資料2)が、メチオニンに11Cを標識した11C-メチオニンを用いて、オオムギが土壌中から鉄を可溶化・吸収するために分泌するムギネ酸生合成に用いられるメチオニンが根に由来することを明らかにしている。また、52Feを用いた植物体内における動態の可視化については、本データベースの020157(森、塚本)に集録されているので、そちらを参照されたい。

コメント    :
 ポジトロン放出金属源の開発は、分子生物学的な手法とPETISを用いた個体レベルでのイメージング手法とを組み合わせた研究を可能とするものであり、植物による微量金属元素の吸収・輸送機構を明らかにし、欠乏が発生しやすいアルカリ土壌でも生育できる作物の開発などに繋がることが期待される。

原論文1 Data source 1:
52Mn translocation in barley monitored using a positron-emitting tracer imaging system
T. Tsukamoto, H. Nakanishi, S. Kiyomiya, S. Watanabe, S. Matsuhashi, N. K. Nishizawa, S. Mori
The University of Tokyo
Soil Sci. Plant Nutr., 52 (2006) 717-725

原論文2 Data source 2:
Rice plants take up iron as an Fe3+-phytosiderophore and as Fe2+
Y. Ishimaru, M. Suzuki, T. Tsukamoto, K. Suzuki, M. Nakazono, T. Kobayashi, Y. Wada, S. Watanabe, S. Matsuhashi, M. Takahashi, H. Nakanishi, S. Mori, N. K. Nishizawa
The University of Tokyo
Plant J, 45 (2006) 335-346

原論文3 Data source 3:
Mutational reconstructed ferric chelate reductase confers enhanced tolerance in rice to iron deficiency in calcareous soil
Y. Ishimaru, S. Kim, T. Tsukamoto, H. Oki, T. Kobayashi, S. Watanabe, S. Matsuhashi, M. Takahashi, H. Nakanishi, S. Mori, N. K. Nishizawa
The University of Tokyo
PNAS, 104 (2007) 7373-7378

原論文4 Data source 4:
Biosynthesis and secretion of mugineic acid family phytosiderophores in zinc-deficient barley
M. Suzuki, M. Takahashi, T. Tsukamoto, S. Watanabe, S. Matsuhashi, J. Yazaki, M. Kishimoto, S. Kikuchi, H. Nakanishi, S. Mori, N. K. Nishizawa
The University of Tokyo
Plant J., 48 (2006) 85-97

参考資料1 Reference 1:
Visualizing real time [11C]methionine translocation in Fe-sufficient and Fe-deficient barley using a positron emitting tracer imaging system (PETIS)
H. Nakanishi, N. Bughio, S. Matsuhashi, N. S. Ishioka, H. Uchida, A. Tsuji, A. Osa, T. Sekine, T. Kume, S. Mori
The University of Tokyo
J. Exp. Bot., 50 (1999) 637-643

参考資料2 Reference 2:
Real time [11C]methionine translocation in barley in relation to mugineic acid phytosiderophore biosynthesis
N. Bughio, H. Nakanishi, S. Kiyomiya, S. Matsuhashi, N. S. Ishioka, S. Watanabe, H. Uchida, A. Tsuji, A. Osa, T. Kume, S. Hashimoto, T. Sekine, S. Mori
The University of Tokyo
Planta, 213 (2001) 708-715

キーワード:ポジトロン放出核種、金属元素、Fe-52、Mn-52、Zn-62、植物、ポジトロンイメージング、PETIS、トレーサ、植物ポジトロンイメージング装置、可視化
positron emitting nuclide,metal elements,Fe-52,Mn-52,Zn-62,plant,positron imaging,PETIS,tracer,positron emitting tracer imaging system,visualization
分類コード:020501、020101

放射線利用技術データベースのメインページへ