作成: 2006/11/02 松橋信平

データ番号   :020268
ポジトロン放出核種15O標識水の植物研究への利用


目的      :ポジトロンイメージングによる植物中の水の動態の可視化
放射線の種別  :陽電子(放出)、ガンマ線(検出)
放射線源    :15O(ポジトロン放出核種)
利用施設名   :日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所TIARA
照射条件    :照射条件 なし
応用分野    :植物生理学、植物栄養学、植物育種

概要      :
 水は、植物体のおよそ9割を占め、栄養成分などの輸送、光合成反応の原料、気化熱を利用した温度調節機能など、植物を維持する活動で重要な役割を果たしている。その植物体内におけるダイナミクスを捕らえることは、水が関与する様々な生体活動を理解する重要な手がかりとなる。ポジトロン放出核種15Oで標識した水をトレーサに用いた水の動態のイメージング計測が試みられ、水の動態についての新たな知見が得られている。

詳細説明    :
 水はすべての生命体になくてはならない根源的な存在である。植物体の場合、通常約9割に相当する重さが水で占められている。水は、植物が栄養成分などの物質を吸収・輸送するための溶媒としてだけでなく、植物に特徴的な代謝機能である光合成の基質としても重要である。また、気孔からの水の蒸散は気化熱を利用した温度調節機能としても重要である。従って、植物中での水の動きを知ることは、植物が持つ様々な機能を理解するために不可欠な情報といえる。
 
 生体内での物質動態を観察する手段として、生体内から生体を突き抜けて生体外にまで届く放射線を出す放射性同位元素(RI)がトレーサとして利用される。ところが水に関しては、生体内での動きの観察に適したRIトレーサ計測技術が無いことから、生きた植物が吸収した水が植物体中でどのように動いているのかよくわかっていない。生体内での水の動態を観察するために最も可能性が高いRIトレーサは、ポジトロン放出核種15Oで標識した水、H215Oである。
 
 15Oは、他の酸素の放射性同位元素に比べ半減期が長いが、それでも約2分と極めて短い(表1)。このためにH215Oを利用した観察を行うためには次の2つの要件を満たす必要がある。一つは、H215O製造後直ちに観察を行うことが可能な照射施設と計測施設が一体または併設されていること。もう一つは、H215Oの動きをリアルタイムで観察可能な放射線計測装置があることである。

表1 酸素の同位体
同位体 半減期 主な崩壊様式
14O 71s β
15O 122s β
16O - 安定
17O - 安定
18O - 安定
19O 27s β
20O 14s β

 日本原子力研究開発機構(旧・日本原子力研究所)が浜松ホトニクス(株)と共同で開発した植物ポジトロンイメージング装置(positron emitting tracer imaging system, PETIS, 図1)は、ポジトロン放出核種標識化合物をトレーサとし、その生体内での動態を非侵襲かつリアルタイムで観察できる装置である。PETISを用いて加速器でH215O製造後直ちに植物への投与を行うことにより、植物中での水の動態のリアルタイム観察が初めて可能となった。PETISにより植物中でのH215Oの動きを観察した研究例を以下に紹介する。


図1 ポジトロンイメージング計測の概要

 
 森らは、トマトとイネの幼植物を対象とした観察を行い、それぞれの植物の根から吸収されたH215Oが茎へと輸送される様子の画像化に成功した。森らの報告が生きた植物体中での水の動きを経時的に画像化した最初の報告である。
 
 森らの観察では、トマトの根から吸収されたH215Oは、わずか3分で茎に到達していることが示された(図2 A-C)。15Oの半減期の短さは場合によりプラスの側面となる。植物内に取り込まれた15Oは、2分毎に半分、半分・・・と減衰し、30分後には約3万分の1に、1時間後には約100億分の1になる。従って、この頃には植物内に残存するH215Oを実質的に検出限界以下となり、同じ植物を用いて繰り返してあるいは植物の環境などの条件を変えて計測することができ、生物を対象とした計測で必ず問題となる個体差の影響を受けない実験が実現できる。


図2 トマト幼植物を用いたH215O吸収・輸送のPETIS計測 A: H215Oの吸収・輸送計測に供したトマト幼植物、B: H215O投与開始から15分間検出した15Oのシグナルを積算したPETIS画像、カラーバーが15Oの強度を示す、C: H215O投与後1分ごとのPETIS経時画像、D: 光環境を制御したときのH215Oの吸収・輸送、Aの写真中の白矢印の位置での15O強度を示す、光環境は明(500μmol photon m-2 s-1)→明→暗→明→明→明とし、それぞれ60分の感覚で計測を実施、E: Bの画像中に示したI, IIの位置での15O強度の経時変化、IとIIの距離は3.7cm(原論文1より引用)

 
 森らは、H215Oを用いて同じ植物個体に対して複数回の観察を行っており、光を与えずにH215Oを投与すると茎への移行は全く観察されないが、その後30分間光を与えるとH215Oの根から茎への輸送が回復することを明らかにした(図2 D)。さらに、茎上の2点間の到達時間からH215Oの移行速度を求め、トマト茎中での水の移行速度が1.9cm/分であることを明らかにした(図2 E)。また、双子葉植物であるトマトの他に単子葉植物であるイネについてもH215Oの吸収・移行の観察を行い、根から吸収されたH215Oが2.5分で基部(根と葉の接合部)に到達することを明らかにし、葉鞘におけるH215Oの移行速度が0.4cm/分であることを示した。データは未公表であるが、光量を増加させると、H215Oの輸送量も増加したことを報告している。
 
 Kiyomiyaら(原論文2)は、森らの実験結果を受け、イネ幼植物を用いて、光環境が水の吸収・輸送に与える影響について、さらに詳細な検討を行った。光を与え続けているイネ植物では、H215Oを根に投与してから1分でH215O が基部で検出された。これに対しH215Oの投与と同時に光を消すと、根からDCへの水の移行は徐々に減少し、12分後には完全に停止した。反対に、光を与えずにおいたイネに光を与えると、点灯から約8分後に水の集積が基部で観察できた。(図3)。このことから、イネ幼植物では光条件に応答する気孔の開閉に要する時間は約10分程度であると推論している。


図3 光環境を制御したイネ幼植物における根から基部へのH215Oの輸送基部における15O強度の経時変化を計測。同じイネ植物個体の光環境とH215Oの投与を次の通り制御。明(1500μmol photon m-2 s-1)・H215O投与→明・H215O投与→(4分後に暗転)→暗・H215O投与→暗・H215O投与→(3分後に点灯)→明・H215O投与。計5回の計測を1時間毎に行い、水耕液は計測の都度新しいものに交換。Copyrighted by the American Society of Plant biologies and reprinted with permission, from S. Kiyomiya, H. Nakanishi, H. Uchida, A. Tsuji, S. Nishiyama, M. Futatsubashi, H. Tsukada, N. S. Ishioka, S. Watanabe, T. Ito, C. Mizuniwa, A. Osa, S. Matsuhashi, S. Hashimoto, T. Sekine, T. Kume, S. Mori, Real time visualization of 13N-translocation in rice under different environmental conditions using positron emitting tracer imaging system, Plant Physiol. 125, 1743-1754 (2001). (原論文2より引用)



コメント    :
 植物のみならず、生物にとって水は命の根源であり、様々な生命活動に欠かすことのできない重要な物質であるが、生体内での動態を観察する方法がないため、生物における水のダイナミクスは未解明な点が多い。当該技術は、従来不可能だった生体内での水の動態を可視化できる点で画期的であり、生体内における水の振る舞いを画像として捕らえることで、生体と水との関わりを解き明かすための知見の獲得が期待される。

原論文1 Data source 1:
Visualization of 15O-water flow in tomato and rice in the light and dark using a positron-emitting tracer imaging system.
S. Mori1), S. Kiyomiya1), H. Nakanishi1), N. S. Ishioka2), S. Watanabe2), A. Osa2), S. Matsuhashi2), S. Hashimoto2), T. Sekine2), H. Uchida3), S. Nishiyama3), H. Tsukada3), A. Tsuji3),
1)東京大学、2)日本原子力研究所、3)浜松ホトニクス(株)、
Soil Sci. Plant Nutr. 46, 975-979 (2000).

原論文2 Data source 2:
Real time visualization of 13N-translocation in rice under different environmental conditions using positron emitting tracer imaging system.
S. Kiyomiya1), H. Nakanishi1), H. Uchida2), A. Tsuji2), S. Nishiyama2), M. Futatsubashi2), H. Tsukada2), N. S. Ishioka3), S. Watanabe3), T. Ito3), C. Mizuniwa3), A. Osa3), S. Matsuhashi3), S. Hashimoto3), T. Sekine3), T. Kume3), S. Mori1)
1)東京大学、2)浜松ホトニクス(株)、3)日本原子力研究所
Plant Physiol. 125, 1743-1754 (2001).

参考資料1 Reference 1:
Uptake and transport of positron-emitting tracer (18F) in plants
T. Kume1), S. Matsuhashi1), M. Shimazu1), H. Ito1), T. Fujimura1), K. Adachi2), H. Uchida3), N. Shigeta4), H. Matsuoka4), A. Osa4), T. Sekine4)
1) 日本原子力研究所高崎研究所、2)JGC(株)、3)浜松ホトニクス(株)、4)日本原子力研究所東海研究所
Appl. Radiat. Isot. 48, 1035-1043 (1997).

キーワード:ポジトロン放出核種、15O、植物、ポジトロンイメージング、トレーサ、植物ポジトロンイメージング装置、輸送、可視化、非侵襲、消滅ガンマ線、positron emitting nuclide, plant, positron imaging, tracer, positron emitting tracer imaging system, transportation, visualization, non-invasive, annihilation gamma-ray
分類コード:020501、020101