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作成: 1999/10/25 長谷川 博

データ番号   :020151
高等植物における突然変異の分子レベルでの解析
目的      :高等植物において誘発された突然変異をDNAレベルで解析すること
放射線の種別  :ガンマ線
放射線源    :60Co
線量(率)   :原論文に記載なし
利用施設名   :農林水産省農業生物資源研究所放射線育種場
応用分野    :植物分子生物学、植物生理学、植物育種

概要      :
 放射線育種場で育成されたガンマ線により誘発されたイネの突然変異系統から塩素酸カリウム抵抗性を指標として硝酸還元酵素(NR)欠失突然変異体を選抜した。得られた低NR活性突然変異系統のひとつM819について詳細な生化学・分子生物学研究を行った結果、M819はNADP-NRのヘムドメインのひとつのバリン残基が欠失した突然変異であることが明らかになった。

詳細説明    :
 
 農林水産省農業生物資源研究所放射線育種場において1960年代にガンマ線照射により誘発され、維持されているイネの突然変異系統(原品種、農林8号)について塩素酸抵抗性に関するスクリーニングが行われた。各系統の幼植物を0、10-4および10-3Mの塩素酸カリウム溶液で播種時より14日間育てたところ、437系統のうち4系統が塩素酸カリウム溶液を用いて栽培しても生存し、塩素酸抵抗性を示すことが認められた。図1は抵抗性系統と原品種の塩素酸感受性の差異を表したものである。これら4系統の幼植物の硝酸還元酵素(NR)活性を調べた結果、硝酸還元酵素活性が低い2系統(M819、M821)が得られた。(原論文1)


図1 Difference in chlorate sensitivity between four chlorate resistant lines and Norin 8. Seedling height was measured on 14th day after treatment.(原論文1より引用)

 NR欠失突然変異体はアポ酵素をコードする遺伝子の突然変異と酵素のモリブデン(Mo)補酵素をコードする遺伝子の突然変異の2つのグループに分けられる。もし、アポ酵素遺伝子の突然変異であるなら、NADHだけを電子供与体とするNR、あるいはNADPHも電子供与体として利用できるNRの突然変異の2種類に分けることができる。さらに、アポ酵素の本体は3つのドメイン(FAD、ヘム、Mo補酵素)に分割されている。NADPあるいはNADPH以外の他の電子供与物質または電子受容物質を処理して硝酸還元能力を調べることにより、各ドメインの部分活性を評価することが可能である。なお、突然変異体がアポ酵素遺伝子なのか、Mo補酵素遺伝子によるものかは、NRのMo補酵素がキサンチンデヒドロゲナーゼ(XDH)のMo補酵素と共有することから、XDH活性を検出できるかどうかで判別することができる。M819について以上に述べた調査を行ったところ、M819はNADH型NRのアポ酵素に関する突然変異体で、ヘムドメインの部分に突然変異が生じているものと推定できた。なお、M819はNADP型NR活性は原品種の約10%であるが、NADPH型NR活性が原品種より高くなるため全体としてNR活性は原品種農林8号の約20%であることも明らかになった(原論文2)
 
 NRのアポ酵素をコードする遺伝子はイネにおいてもすでにDNAの塩基配列が決定されている。M819が突然変異を生じた場所を特定するために、原論文2で明らかになったヘムドメインをコードする領域の両側の塩基配列をもとにしてプライマーを設計し、その間のDNA鎖をPCRにより増幅し、クローニングした。ヘムドメインをコードする領域ならびに用いたプライマーの位置は図2に示したとおりである。得られたDNA断片の塩基配列を用いて調べたところ、M819はVal-561あるいはVal-562のどちらかのバリン残基をコードする3塩基が欠失していることが明らかになった(図3)。イネと他種のNRのアミノ酸配列の比較により両残基のうちVal-562は非常に保存性の高い残基であること、およびアミノ酸1残基の欠失がNR活性を大きく低下させていることなどから、M819はVal-561残基に生じた突然変異であると考えられている。(原論文3)


図2 PCR-based cloning of NADH-NR heme domain from M819 and wild type Norin 8. A;Position and orientation of the oligonucleotide primers used in the study. The numbering of the nucleotides and the border of exon/intron are taken from rice nia 1 genomic sequence (Choi et al. 1989), B;PCR products in M819 and Norin 8 using 5A and 3A primers described in A. Molecular weight markers consisted of lambda DNA digested with Hind III and Hinc II. N:Norin 8, M:M819, C;Schematic representation of plasmid pN 8 and p819. Bold line indicates the vector region (pBluescript II SK+).(原論文3より引用)



図3 Nucleotide sequences and deduced amino acids sequences of the NADH-NR heme domain of M819 and wild type Norin 8. Gaps in the alignment are represented by dots. One of the two boxed codons in Norin 8 was involved in the mutation in M819. The position of V2 primer is indicated in parenthesis.(原論文3より引用)

 なお、M819の突然変異部位のクローニングが完成する前に、サザンハイブリダイゼーション法によりM819と農林8号のNR遺伝子の相同性が調査されているが、サザン法では両者の差異は認められなかった。(原論文4)

コメント    :
NRは植物の硝酸代謝を律速する酵素であり、その構造、機能、調節機構について非常に多くの研究がなされている。この研究の発展にはNR欠失(低NR活性)突然変異体が果たした役割が大きい。近年は得られたNR欠失突然変異体が遺伝子工学の研究材料としても用いられている。
誘発された突然変異を分子レベルで同定することは現在でもなお困難な課題のひとつである。NRのアポ酵素に生じた突然変異の場合はドメインの部分活性を調査して、突然変異が生じたドメインをまず決定することができる。次いでドメインをコードするDNA部分について本文中で述べた方法により、クローニングを行って突然変異部位の塩基配列を決定することができる。このことは、NRが突然変異誘発に関して分子レベルで検出するためのモデル遺伝子となりうることを示している。なお、突然変異体から突然変異遺伝子をクローニングするために、近年突然変異体に特異的なmRNAを捉え、それより逆転写酵素を用いてcDNAを構築するディファレンシャルディスプレイ法が注目され、成果が得られている。

原論文1 Data source 1:
Screening for nitrate reductase-deficient mutants in rice (Oryza sativa L.)
Hiroshi Hasegawa1), Osamu Yatou2), Toyomasa Katagiri3) and Masahiko Ichii3)
1)Research Institute for Advanced Science and Technology, University of Osaka Prefecture, Present address:School of Environmental Science, the University of Shiga Prefecture, Hikone, Shiga, 2)Institute of Radiation Breeding, National Institute of Agrobiological Resources, Ohmiya-machi, Ibaraki, 3)Faculty of Agriculture, Kagawa University, Miki-cho, Kagawa
Japanese Journal of Breeding 41: 95-101 (1991)

原論文2 Data source 2:
Characterization of a rice (Oryza sativa L.) mutant deficient in the heme domain of nitrate reductase
H.Hasegawa1), T.Katagiri2), S.Ida3), O.Yatou4) and M.Ichii2)
1)Research Institute for Advanced Science and Technology, Universsity of Osaka Prefecture, Present address:School of Environmental Science, the University of Shiga Prefecture, Hikone, Shiga, 2)Faculty of Agriculture, Kagawa University, Miki-cho, Kagawa, 3)Research Institute for Food Science, Kyoto University, Uji, Kyoto, 4)Institute of Radiation Breeding, National Institute of Agrobiological Resources, Ohmiya-machi, Ibaraki
Theoretical and Applied Genetics 84: 6-9 (1992)

原論文3 Data source 3:
Reduced level of NADH-dependent nitrate reductase activity in rice mutant M819 due to deletion of a valine residue in heme domain
Hiroyuki Sato1), Eiji Domon2), Makoto Kawase2), Hiroshi Hasegawa3), Shoji Ida4), Osamu Yatou5) and Masahiko Ichii1)
1)Faculty of Agriculture, Kagawa University, Miki-cho, Kagawa, 2)Shikoku National Agricultural Experiment Station, Zentsuji, Kagawa, 3)School of Environmental Science, the University of Shiga Prefecture, Hikone, Shiga, 4)Research Institute for Food Science, Kyoto University, Uji, Kyoto, 5)Hokuriku National Agricultural Experiment Station, Jhoetsu, Niigata
Breeding Science 47: 115-120 (1997)

原論文4 Data source 4:
DNA modification of mutant genes
O.Yatou
Institute of Radiation Breeding, National Institute of Agrobiological Resources, Ohmiya-machi, Ibaraki
Gamma Field Symposia 30: 33-42 (1991)

キーワード:イネ、ガンマ線、突然変異、遺伝子、DNA、欠失、塩素酸抵抗性、硝酸還元酵素、サザンハイブリダイゼーション、PCR、塩基配列
rice, gamma-ray, mutation, gene, DNA, deletion, chlorate resistance, nitrate reductase, Southern hybridization, PCR, nucleotide sequencing
分類コード:020501, 020101, 020301

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