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作成: 2007/09/30 鈴木 嘉昭

データ番号   :010313
生体親和性を有する人工硬膜、脳動脈瘤治療用材料
目的      :生体親和性を有する埋め込み可能な高分子材料
放射線の種別  :重イオン
放射線源    :イオン注入器(200 kV, 1mA)
フルエンス(率):1015ions/cm2
利用施設名   :理化学研究所低電流イオン注入装置
照射条件    :真空中
応用分野    :人工臓器

概要      :
 イオンビームによって組織適合性を改善した人工硬膜は、特に経鼻的下垂体腫瘍と呼ばれる手術における硬膜の再建に、2007年末の段階で、東京女子医科大学脳神経外科および関連病院ですでに100例以上臨床使用されている。人工硬膜と生体の接着不全による髄液の漏れはほぼ100%防止され、確実な機能発現を示した。また脳動脈瘤治療用材料は同大学および関連病院において未破裂動脈瘤、破裂動脈瘤の100例以上の治療に用いて、ほぼ100%の破裂防止効果を示した。

詳細説明    :
 イオンを材料に打ち込むと、高分子材料表面および少し入った表層(数百ナノメートル程度の深さ)の原子が弾き飛ばされて再配列を起こし(照射損傷効果)、さらに新しく入ったイオンの影響(添加効果)も受けるようになって、表面および表層の性質が変化する。当てるイオンの種類、速度、量を選んで、照射効果と添加効果それぞれの大きさをコントロールし、材料設計を行う。人工硬膜として用いている材料は延伸ポリテトラフルオロエチレン(ePTFE)であるが、この材料はC(炭素)とF(フッ素)の結合でできている。この材料にイオンビームを照射するとCF結合は分解され炭素同士が結合してアモルファスカーボンを生成して細胞の接着性が付与される(図1)。イオンビーム照射した高分子表面は種々のカルボニル基、水酸基などの官能基および炭化が生じる。X線光電子分光法による最表面分析ではイオンビーム照射によるアモルファスカーボンの生成が顕著に見られ、これが細胞接着を生じる主な原因と考えられた。


図1 イオンビーム照射したePTFEへの線維芽細胞の接着(イオン照射部分は円形100μm部分)(原論文3より引用)

 頭蓋骨と脳の間には3層の膜(硬膜、くも膜、軟膜)が存在する。開頭を伴う脳神経外科手術において、この硬膜に必ず欠損が生じる。この欠損部位の修復に代用硬膜が用いられるが、唯一人工物として使用を許可されているのは、米国のW.L.Gore社が製造しているテフロン系の材料であるePTFEのみであり、このePTFEは生体内で非常に安定で劣化しないという点では非常に優れた素材である。しかしながらこの材料は組織適合性(細胞接着性)が低く、頭蓋骨との接着、周辺組織との接着が生じないという欠点を有し、この性質が様々な術後のトラブルを起こしている。
 医療用ePTFEにイオンビーム照射を行い、生体外組織適合性実験、物性評価、未照射およびイオンビーム照射ePTFEの100匹を超える動物実験によって硬膜補修材として評価した。イオンビームを照射したePTFEは生体組織と確実に接着して脳髄液の漏れを確実に防止できた。動物実験にて行ったイオンビーム照射で最適な条件(Ar+イオン、加速エネルギー150keV、照射量5×1014ions/cm2)にて作成した試料を東京女子医科大学脳神経外科にて同大学の医学倫理委員会の承認を得た後、2004年1月現在で公式に発表された(毎日新聞1月30日)数値では経鼻的下垂体腫瘍摘出手術中に髄液漏を伴った20症例に使用したところ、1例は髄液漏を再発したが他は完全に術後髄液漏を防ぐことができた(図2)。


図2 経鼻的下垂体腫瘍摘出手術(原論文3より引用)

 破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血は毎年人口10万人に対して約12人発生する。日本の人口1億2千6百万人の内、約1万5千人発生している。約50%が初回くも膜下出血により死亡し、治療しなければ 25〜30% は再出血で死亡する。救命のためには未破裂脳動脈瘤の段階で手術を行うことが必要である。この疾患の治療法は開頭術による動脈瘤の根本部分を金属製のクリップで血流を遮断するクリッピング、あるいは血管内から動脈瘤までカテーテルと呼ばれるチューブを導入して動脈瘤内に非常に柔らかい金属コイルを詰め込んで血栓化して破裂を防止する方法がとられている。しかしながらワイドネック型動脈瘤(なだらかな隆起状の動脈瘤)は動脈瘤の根本をクリッピングすることができず、またコイルを挿入しても、下流側にコイルが流れてしまい治療が不可能である。このワイドネック型動脈瘤の治療は開頭後に何らかの素材で動脈瘤を含めた血管全体をラッピング(包帯のように包み込む)によって破裂防止を行っている。現時点で動脈瘤の破裂を確実に防止できる人工材料は存在しない。
 これらの動脈瘤の破裂を確実に防止できる素材をePTFEへのイオンビーム照射により作成した。生体外組織適合性実験、物性評価、未照射およびイオンビーム照射ePTFEの100匹を超える動物実験によって破裂防止効果を評価した。未照射のePTFEは血管外壁との接着が生じず、また異物反応が激しいのに対して、イオンビーム照射ePTFEは確実に血管壁と接着して異物反応も軽度であった。東京女子医科大学において2007年1月現在、公式に発表された(脳卒中の外科 第35巻、1号 pp.24-29)数値では未破裂脳動脈瘤、破裂動脈瘤の14例の治療に用いた結果、動脈瘤破裂、再破裂を防止できた。

表1 イオンビーム照射したePTFEの臨床成績
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           | 症例数 | 成功数 |  成功率
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  硬膜再建 |   20   |   19   |   95 % 
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  動脈瘤   |   14   |   14   |  100 %
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コメント    :
金属材料へのイオンビーム照射によって医療材料への応用はすでに人工関節における成功例がある。高分子材料などソフトマテリアルへのイオンビーム照射による医療応用例(臨床使用例)は本報告が世界でも最初の成果といえる。

原論文1 Data source 1:
イオンビーム照射によるePTEE人工硬膜の改良
高橋 範吉、氏家 弘、鈴木 嘉昭、岩木 正哉、堀 智勝
東京理科大学、理化学研究所、東京女子医科大学
脳神経外科 Vol.31 pp1081-1088 (2003)

原論文2 Data source 2:
イオンビーム照射ePTFEの脳動脈瘤ラッピング材への応用
世取山 翼、氏家 弘、高橋 範吉、小野 洋子、鈴木 嘉昭、岩木 正哉、堀 智勝
東京理科大学、理化学研究所、東京女子医科大学
脳神経外科 Vol.35 pp471-478 (2004)

原論文3 Data source 3:
イオンビーム照射したePTFEの脳外科領域での応用
鈴木 嘉昭、岩木 正哉、氏家 弘、堀 智勝、高橋 範吉、世取山 翼
理化学研究所、東京女子医科大学、東京理科大学
放射線化学 Vol. 78, pp39-45 (2004)

キーワード:イオンビーム、細胞接着性、硬膜、脳動脈瘤、高分子、延伸ポリテトラフルオロエチレン、線維芽細胞、人工血管
Ion beam, cell adhesive, dura matter, brain aneurysm, polymer, expanded polytetrafluoroethylene, fibroblast, vascular graft
分類コード:010101, 010204, 010304

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