原子力基盤技術データベースのメインページへ

作成: 1998/11/26 河裾 厚男

データ番号   :170008
同時計数法による陽電子消滅ガンマ線ドップラー拡がり測定
目的      :同時計数法による陽電子消滅ガンマ線のドップラー拡がり測定により陽電子消滅サイトの化学分析を行う
研究実施機関名 :日本原子力研究所材料開発部,東北大学金属材料研究所,Brookhaven National Laboratory, Helsinki University, West Ontario University 他多数
応用分野    :材料中の欠陥及び元素の分析

概要      :
 二つの検出器を用いた陽電子消滅ガンマ線のドップラー拡がり測定により、従来の一検出器を用いる場合と比べて、S/N比の格段に高いスペクトルが得られるようになっている。この方法を半導体や金属材料に適用することにより、陽電子消滅サイトの元素分析が可能になると期待されている。
 

詳細説明    :
 陽電子消滅法は、金属や半導体中の格子欠陥やバンド構造の研究に広く用いられている。陽電子消滅ガンマ線のドップラー拡がり測定(以下、ドップラー測定)は、寿命測定及び角相関測定と並ぶ陽電子消滅法の代表的な計測法である.ドップラー測定では、消滅ガンマ線のエネルギースペクトルを半導体検出器により計測することにより、消滅相手の電子の運動量分布を得る。図1はドップラースペクトルを模式的に示したものである。一般に、内殻電子の運動量は価電子のものより高いことから、スペクトルの中央部分と裾部分がそれぞれ価電子と内殻電子の寄与によるとされる。


図1  ドップラースペクトルの模式図.点線及び実線は,それぞれ内殻電子と価電子との消滅を示す.

 しかし、従来の一検出器による測定で得られるスペクトルのS/N比は高々102程度であり、スペクトル自身及びスペクトルから計算される消滅パラメータには常に一定の誤差が含まれる。さらに、高エネルギーガンマ線(例えば22Naの1.275 MeV)によるコンプトン散乱線やパイルアップによりスペクトル形状が著しく歪められる。この点を改善するため、1977年にLynn等は二光子の同時計数を行うことにより、格段にS/N比の高い(104〜105)ドップラースペクトルを得た(原論文1)。S/N比の向上により消滅パラメータの誤差が低減されるだけでなく、高運動量領域の内殻電子成分が浮き彫りにされる。内殻電子の運動量分布は元素により異なるため、分布の違いから陽電子消滅サイトの元素同定が可能になると期待される。
 
 同時計数によるドップラー拡がり測定は、図2示すような回路を用いて行われる。即ち、分解能の近い二つの半導体検出器でガンマ線を検出し、各検出器のエネルギー軸を座標とする二次元平面上で同時計数を行う。


図2  二つの検出器による同時計数ドップラー測定回路の模式図(一例).

 図3は,Asoka等がこの方法で得たスペクトルを示している(原論文2)。平面上で左上から右下にかけての対角線上では、E1+E2=2mc2となり、完全に近い状態でバックグラウンドが消去され、さらに、S/N比も105まで向上する。一方、直流の陽電子ビームを用いる場合は、高エネルギーガンマ線(例えば22Naの1.275MeV)によるコンプトン散乱線やパイルアップによるバックグラウンドがもともと低減されているので、半導体検出器の出力に対して効率の高いNaIシンチレーション検出器とのランダムコインシデンスでゲート信号を与える方式でも十分にS/N比の良い測定を行うことができる。


図3  A two-dimensional display of coincident events collected with a Si(100) target. The spectrum contains a total of 15 x 106 events.(原論文2より引用)

 Asoka等が得たAl、Si及びGeに対するドップラースペクトルを求めた(原論文3)。AlとSiは同数の内殻電子(K及びL殻)を持っているので高運動量域の分布に大きな違いはないが、それらと比べてGeの高運動量域の強度が増加していることが明らかになった。これは、2s、2p、3s及び3p電子に加え3d電子と陽電子が消滅すること、及び3d電子の波動関数がそれ以外の内殻電子よりも空間的に広がっており、陽電子との重なり積分が大きいことによる。得られたスペクトルの参照試料に対する比をとると、スペクトルにおける元素の影響をより明瞭に表すことができる(高運動量域のデータはカウント数が少ないので、エネルギー分解能と同程度のデータ点数で平滑化される場合が多い)。
 
  同様の手法を用い、Kawasuso等はSixGe1-x混晶に対して測定を行った(原論文4)。純粋なGeのスペクトルから、3d電子との消滅に起るGeのピークが現れることが見いだされた。このピークはGe組成比が減少するとともに小さくなることが、ある組成のところで特異点を持つと報告されている。SixGe1-x混晶のバンドギャップ等の電気的特性は、組成に対して必ずしも線形ではないことが知られており、上で報告された特異点と何らかの関係にあるのではないかと推測されている。また、Saarinen等は各種のZnSxSe1-xやGaN試料中に存在する原子空孔の種類を同定した(原論文5)。彼らは、Cl及びNを添加したZnSxSe1-xに対して原子空孔が存在することを見出し、ドップラー測定により各試料に対して内殻電子の分布を得た.Nを添加した試料の運動量分布がPL=(15-25)x10-3mcの領域でCl添加のものより高いこと、及びClを添加した試料の運動量分布がNを添加したものより高運動量域まで広がることが分かる。
 
 理論計算によると、Zn原子の3d電子の空間的広がりはSe原子の3d殻のそれよりも大きく、陽電子との消滅確率は高い。また、Zn原子の3d電子は空間的に広がっており、それゆえ運動量分布はSe原子に比べて狭まる。これらより、N添加試料ではZn原子の内殻電子との消滅が優越しており、それゆえ観測された原子空孔はSe原子空孔であり、逆にCl添加試料で観測されたものはZn原子空孔であると結論している。
 
 ドップラースペクトルには、陽電子消滅サイトにある母相とは異なる元素の影響が現れるという特性を利用することで、よりスペクトロスコピックな議論が可能になる。酸素不純物を過飽和に含むチョクラルスキーSiや合金材料等に対しても同時計数によるドップラー測定を適用することにより、不純物の析出などに関する問題が解決されるのではないかと期待される。さらに、ドップラースペクトルにおいてバックグラウンドがほぼ完全に取り除かれることにより、ポジトロニウムの三光子消滅成分がより明瞭に観測できるようになる。これにより、例えばSiO2膜中におけるオルソポジトロニウムの生成消滅に関する知見等が得られるのでないかと期待される。
 

コメント    :
 陽電子の消滅現象を利用して材料中の化学分析を行う本手法を用いることにより、従来的な手法では不可能であった。小さな析出物や原子空孔周りの不純物状態等に関する知見が得られると期待される。その意味で、基礎・実用の両面で極めて有用である。
 

原論文1 Data source 1:
Positron Annihilation Momentum Profiles in Aluminum: Core Contribution and the Independent Particle Model
K. G. Lynn (1), J. R. MacDonald (2), R. A. Boie (2), L. C. Feldman (2), J. D. Gabbe (2), M. F. Robbins (2), E. Bonderup (3) and J. Golovchenko (3)
(1) Brookhaven National Laboratory, (2) Bell Laboratories, (3) Institute of Physics, University of Aarhus
Phys. Rev. Lett. 31, 241 (1977).

原論文2 Data source 2:
Increased Elemental Specificity of Positron Annihilation Spectra
P. Asoka-Kumar (1), M. Alatalo (1), V. J. Ghosh (1), A. C. Kruseman (2), B. Nielsen (1) and K. G. Lynn (1)
(1) Brookhaven National Laboratory, (2) IRI, Delft University of Technology
Phys. Rev. Lett. 77, 2097 (1996).

原論文3 Data source 3:
Identification of the Native Vacancy Defects in Both Sublattices of
ZnSxSe1-x by Positron Annihilation
K. Saarinen (1), T. Laine (1), K. Skog (1), J. Makinen (1), P. Hautojarvi (1), K. Rakennus (2), P. Uusimma (2), A. Salokatve (2) M. Pessa (2)
(1) Helsinki University of Technology, (2) Tampere University of Technology
Phys. Rev. Lett. 77, 3407 (1996).

参考資料1 Reference 1:
同時計数法によるドップラー幅高精度測定
河裾 厚男
日本原子力研究所
放射線,24巻,21 (1998)

キーワード:陽電子消滅、ドップラー拡がり、同時計数
Positron annihilation, Doppler Broadening, Coincidence measurement
分類コード:170203

原子力基盤技術データベースのメインページへ