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作成: 1999/01/12 岡田 漱平

データ番号   :170006
低速陽電子ビームの応用分野と応用技術
目的      :低速陽電子ビームの特徴と応用技術・応用分野及び今後の展望
研究実施機関名 :日本原子力研究所高崎研究所、電子技術総合研究所、その他
応用分野    :材料科学、表面物理、原子分子物理、量子電気力学、宇宙科学

概要      :
 陽電子は、対消滅、欠陥敏感性、非破壊性、表面敏感性、ソフトなイオン化、直進性、異種粒子性、反粒子性など種々の特徴を持ち、材料科学から基礎物理学・化学・生物学に至る広い分野において自然界の有力な観察手段になっている。今後、高強度・高品質の陽電子ビームが追求される一方で、他の分析手法や他の粒子ビームとの複合利用により、さらに高度な研究の展開が期待される。
 

詳細説明    :
 陽電子(ポジトロン)は電子の反粒子であり、図1,2に示すように、反粒子としての特異性を利用した種々の陽電子分光手法が材料科学に応用されるほか、バイオ技術や基礎物理学・化学・生物学に応用されており、また応用される可能性を持っている。


図1 ポジトロンの特徴と利用手法及び応用分野 (1)(原論文2より引用)



図2 ポジトロンの特徴と利用手法及び応用分野 (2)(原論文2より引用)

 陽電子(静止質量m)は物質中で急速に熱化し、電子(静止質量m)と対消滅して消滅ガンマ線を放出する。このとき消滅ガンマ線は、消滅前の電子-陽電子対の運動量(p)及びエネルギーを正確に保存しているので、これを計測すれば電子がどのようなエネルギーでどの方向に運動しているかがわかる。電子の動きは物性を左右するものであるから、このことは、たとえば超伝導の仕組みを探る手がかりになる。このような電子の運動量分布を測定する精度の高い方法としては、2次元消滅ガンマ線角度相関法(2つの消滅ガンマ線のなす角度の180゜からのずれθ= p/mc;cは光速)がある。
 
 陽電子の消滅確率は電子密度に比例するので、原子空孔など電子密度が希薄な場所があると寿命が延びる。このため、陽電子寿命を計測することにより、電子顕微鏡などでは見つけられない微小な欠陥を検知することができる。このことは、ますます高密度化する半導体メモリー等で問題となっている原子空孔の挙動を知るための有力な手段となる。
 
 陽電子ビームの打ち込みエネルギーを変化させれば消滅位置を制御できるうえ、消滅ガンマ線は透過性が高く任意の深さから放出されたものを計測できるので、以上の手法(陽電子消滅分光)は、動作状態にある半導体実デバイスなどに非破壊で応用できる。現在は、2次元消滅ガンマ線角度相関法をビームを用いて行うためには強度が足りないため、これより精度は劣るが簡便な方法として消滅ガンマ線ドップラー幅(ガンマ線エネルギースペクトルの広がりΔE = cpz ;pzは電子の運動量のガンマ線放出方向成分)測定による欠陥の深さ分布解析がさかんに行われている。
 
 陽電子は正電荷を持つため、固体表面で反発を受ける。このため、固体表面で内部に向かって加速され表面第1層より深く入ってしまう電子と異なり、回折などにより最表層の知見が得られることが期待できる。実際、反射高速陽電子線回折(RHEPD)により電子線回折では見られない表面第1層の構造を観察できることが確かめられている(参考資料1)。これ以外に、低速陽電子線回折(LEPD)、再放出陽電子顕微鏡(RPM)、陽電子エネルギー損失分光(PELS)、ポジトロニウム形成分光等の手法がある。
 
 対消滅を別の角度から見ると、原子から電子を1個奪う反応すなわちイオン化の過程でもある。低速陽電子ビームを用いれば、電子や光子を用いる場合に比べて低いエネルギーでイオン化を起こすことができる。物質最表層の原子を選択的にイオン化することも可能になる。このことを利用した陽電子消滅励起オージェ電子分光法により、他の手段では清浄とみなされていた固体表面に不純物原子が付着していることが見出された。また、同様に、陽電子消滅励起質量分析法では、フラグメントイオン(分子が壊されて生じた破片イオン)が少なく、検出したい分子イオンが高感度で検出できることが確かめられている。
 
 通常、機能性薄膜や多層膜の形成は、反射高速電子線回折(RHEED)や電子ビームを用いたオージェ電子分光により構造不整がないことを確かめながら行われるが、電子を陽電子に置き換えることにより、より完全性の高い材料創製が可能になるものと期待される。また、低エネルギーのイオン化過程は、DNAの特定部位の切断や、蛋白質、バクテリア等の表面解析への応用の可能性がある。
 陽電子が物質を透過するくらいのエネルギーで入射された場合、正電荷を持っているために原子核へのからみつき(ロゼッタ運動)が少なく直進性が高いことが期待される。このため、透過型陽電子顕微鏡や陽電子チャネリングが試みられている。
 
 以上のような材料・バイオ分野だけでなく、陽電子が基本的な素粒子であり、物質を構成していない異種粒子であり、かつ反粒子であることから、物理学の種々の分野において基礎的な研究の有用な道具になりつつある。すでに、陽電子-原子・分子散乱実験による原子分子理論の精緻化や、量子電気力学の検証に利用されているが、高密度の陽電子-電子系のバンチを形成し、プラズマ物理の研究や、1.8 MeV付近にあるかもしれない新素粒子の探索の試みも行われている。銀河中心で盛んに陽電子消滅が起こっている消滅サイトを模擬して、銀河中心での種々の反応モデルを検証することにより、宇宙・銀河の進化の研究も行われている。最近では、反陽子-ヘリウム系が比較的長い寿命を持つことに注目し、陽電子バンチを打ち込むことにより反水素を創生する試みが日程にのぼっている。
 
 以上述べてきた陽電子の特徴は、世界に現存するビームを利用することで最大限に活用されているとは言いがたい。たとえば、ビームをミクロンサイズに絞って高温超伝導体単結晶中の電子の動きを調べ超伝導機構を調べたり、最表面の構造の整合性を陽電子線回折で確かめながらエピタキシャル成長による結晶性多層膜形成などを行うためには、現状より2桁強い毎秒1010個以上の単色陽電子ビームが必要とされる。
 
 以上のようなビーム高強度化とともに、他の分析手段との複合利用も追求されている。現在のところ、通常の陽電子線源(ビームではない)を用いた陽電子寿命測定とESR(電子スピン共鳴法)を用いて、耐放射線性半導体として注目されている炭化ケイ素半導体の欠陥の正確な同定に成功した例(参考資料2)などがある。
 
 高分子の熱老化の過程を、誘電緩和、動的粘弾性及び通常の線源による陽電子寿命を用いて調べる試みもなされている。この場合、陽電子線源を強くしたり計測時間を長くすると陽電子照射によるチャージアップ等の問題が出てくる。このような問題を克服するには、多数のガンマ線検出器を配列した大立体角検出システムと、陽電子パルスビームを用いて陽電子入射信号を100%の効率で検出する方法が有効である。このような陽電子パルスビームの一例として、現在(1999年1月時点)、原子力研究所高崎研究所で調整運転に入っている高速(1 MeV)短パルス(100ps)陽電子ビーム形成装置を図3に示す。この装置は、融点直下の高温や応力下など特殊な条件下で物質中の欠陥の挙動を調べることを目的としている。


図3 高速(1 MeV)短パルス(100 ps)陽電子ビーム形成装置の構成(原論文1より引用)

 他のビームとの複合利用も始まりつつある。特に、イオンビームとの複合利用においては、分子ビーム蒸着過程をイオンビームのRBS(ラザフォード後方散乱)による原子深さ分布解析と陽電子ビームによる最表層構造・状態解析によって追跡しながらの多層膜形成、イオン照射欠陥成長過程の陽電子によるその場解析、イオンマイクロビームを用いたマイクロPIXE(粒子誘起X線放出)による細胞内元素分布と陽電子マイクロビームによる細胞最表面原子の同時解析など、興味深い利用法が考えられる。
 
 このような複合利用の例としては、半導体への不純物イオン導入時に形成される欠陥の深さ分布解析が、ドップラー幅測定法を用いてひろく行われているほか、まだ陽電子をビームの形で用いたわけではないが、水素イオン注入と陽電子寿命測定を併用して、水素と原子空孔との結合状態を見出した例などがある(参考資料3)。
  

コメント    :
 電子で可能なことはほとんどすべて陽電子でも可能である。特に、自然界の観察手段としては陽電子の方が優れていることが理論的にも実験的にも確かめられている。しかし、陽電子は電子のように簡単には得られないので、強度が足りないとか、放射性同位元素の扱いが必要であるとか面倒な問題がある。さいわい、最近、ユーザーが直接放射性同位元素を扱う必要のない全自動型の陽電子寿命・ドップラー幅測定装置が市販されるようになった。今後、高強度ビーム施設が追求される一方で、汎用型の測定装置やビームの普及が期待される。
 

原論文1 Data source 1:
陽電子利用研究の展望
岡田 漱平、河裾 厚男
日本原子力研究所 高崎研究所
放射線化学 No.65 (1998) p.16-28

原論文2 Data source 2:
ポジトロンの特徴とポジトロンビームの利用分野
岡田 漱平(共著)
日本原子力研究所 高崎研究所
NSA/COMMENTARIES: NO.6 原子力と先端技術[V]「加速器の現状と将来」(社)日本原子力産業会議 原子力システム懇話会編(平成10年6月)、p.102-104, p.173-180 

参考資料1 Reference 1:
Reflection High Energy Positron Diffraction from a Si(111) Surface
A. Kawasuso and S. Okada
Takasaki Establishment, Japan Atomic Energy Research Institute
Physical Review Letters Vol.81, No.13 (1998) p.2695-2698

参考資料2 Reference 2:
Silicon vacancies in 3C-SiC observed by positron lifetime and electron spin resonance
A. Kawasuso et. al.
Takasaki Establishment, Japan Atomic Energy Research Institute
Applied Physics A67 (1998) p.209-212

参考資料3 Reference 3:
Vacancy-Hydrogen Interaction in Proton-implanted Si Studied by Positron Lifetime and Infrared Absorption Measurements
A. Kawasuso, H.Arai and S. Okada
Takasaki Establishment, Japan Atomic Energy Research Institute
Materials Science Forum Vols. 255-257 (1997) pp.548-550

キーワード:低速陽電子ビーム、2次元消滅ガンマ線角度相関、陽電子寿命、消滅ガンマ線ドップラー幅、陽電子回折、陽電子顕微鏡、陽電子消滅励起オージェ電子分光、複合利用
slow positron beam, 2-dimensional angular correlation of annihilation radiation, positron lifetime, Doppler broadening of annihilation radiation, positron diffraction, positron microscope, positron-annihilation-induced Auger electron spectroscopy, combined utilization
分類コード:170205, 170301

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