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作成: 1999/03/14 岡田 漱平

データ番号   :170004
低速陽電子ビーム発生技術
目的      :低速陽電子ビームの発生及びビーム輝度強化に関わる技術開発
研究実施機関名 :日本原子力研究所高崎研究所、電子技術総合研究所、理化学研究所、大阪大学産業科学研究所、筑波大学その他
応用分野    :材料科学、表面物理、原子分子物理、量子電気力学、放射線化学

概要      :
 数keV程度のエネルギーを持った陽電子は、モデレータと呼ばれる物質中で減速され熱化して拡散を始めるが、このうち大部分が内部で消滅せずに表面に到達する。モデレータの表面ポテンシャルは陽電子に対してはマイナスになっているため、表面に到達した陽電子は、表面ポテンシャルの絶対値(〜eV)に相当するエネルギーを持って自発的に飛び出してくる。これを再放出といい、エネルギーと方向のそろった低速陽電子ビームが得られる。また、低速陽電子ビームを数keVに加速し集束して再びモデレータに打ち込むと、再放出によって角度広がりを変えずにビーム径を絞ることができ、ビーム輝度が増強される。
 

詳細説明    :
 アイソトープのβ+崩壊や高エネルギー電子による対生成で発生する陽電子はエネルギー広がりを持っている。図1に、陽電子が持つエネルギーと固体中での挙動の関係を模式的に示す。


図1 固体中の陽電子の挙動の模式図。図の横方向は、固体内の陽電子入射方向の深さ、縦方向は陽電子エネルギーの大きさを表す。上方に描かれた陽電子ほど大きな運動エネルギーで入射することを意味し、また陽電子の軌跡が下方に落ちるのは減速することを意味する。Ps:ポジトロニウム。陽電子-電子の水素原子様束縛状態。Ps*:ポジトロニウムの励起状態。Ps-:ポジトロニウムイオン。Psに電子が付着したもの。(原論文1より引用)

 このうち数keV程度の陽電子が固体内にいったん入り込む距離は、陽電子の拡散距離(固体内で熱化した陽電子が消滅するまでに拡散して進む距離)と同程度である。このため、入射した陽電子のうち、かなりの部分が消滅しないで表面まで戻ってくる。固体表面の陽電子に対する仕事関数φ+は、
 
  φ+ = -D-μ+
 
と表される。ここでμ+(<0)は陽電子に対する化学ポテンシャルである。D(>0)は、表面の電子雲と正イオンによって形成される電気二重層によるポテンシャルであり、電子に対しては双極子障壁となって閉じこめる作用をするが(すなわちDにつく符号がプラス)、陽電子に対しては押し出すように働く。この結果、種々の金属などでφ+がマイナスの値を持つため、表面まで戻ってきた陽電子は|φ+|の分だけのエネルギー(〜eV)を持って表面から放出される。これを再放出という。このとき、陽電子は表面に対してほぼ垂直に放出されるので、この現象を利用してエネルギーと方向のそろった低速陽電子ビームが得られる。
 
 タングステンのように、φ+がマイナスで、陽電子の拡散距離が大きい物質に、アイソトープからのβ+線のような白色陽電子ビームを注入すると、0から500 keVないし1 MeV程度のエネルギー分布を持った陽電子のうち、主として数keVのエネルギー領域に相当する部分が、この再放出によって低速ビームに変換される。このような物質を減速材(モデレータ)と呼ぶ。
 
 いったん低速ビームが得られれば、これをそのまま、あるいは加速してエネルギー可変単色陽電子ビームとすることができる。eVから数keVないし数10 keVの陽電子は、表面研究用として、低速陽電子回折、反射高速陽電子回折、再放出陽電子顕微鏡、陽電子消滅励起オージェ電子分光、陽電子エネルギー損失分光、ポジトロニウム形成分光、陽電子消滅励起質量分析などに用いられる。また、数10 keVまで入射エネルギーを小刻みに変えて、消滅ガンマ線ドップラー幅、陽電子寿命、消滅ガンマ線角度相関などを測定することにより、欠陥や電子状態の深さ分布解析が可能になる。100 keV程度以上に加速すれば、透過型陽電子顕微鏡、陽電子チャネリングなどに利用することができる。
 
 回折・散乱実験やチャネリング実験、また陽電子顕微鏡などでは、ビーム強度が強いということよりもむしろビーム輝度が高いことが重要になる。輝度Bは、非相対論的エネルギー領域においては次式で定義される。
 
  B = I / ε2
 
ここで、Iはビーム強度、εはビームエミッタンスで、次式で定義される。
 
  ε= θdE1/2
 
 θはビーム発散角、dはビーム径、Eはビームエネルギーである。輝度は、強度が大きいほど、またエミッタンスが小さいほど大きくなる。リウヴィルの定理から、通常のビーム光学系ではエミッタンスは一定に保たれる。従って、ビーム径を絞ろうとすると発散角が大きくなってしまう。ところが、陽電子ビームの場合には、前述した再放出という特異な過程を利用してθとdをともに小さくする輝度強化といううまい方法がある。図2に、その原理を示す。 


図2 陽電子ビーム輝度強化の原理。低速陽電子ビームを加速・集束してリモデレータに打ち込み、再放出を利用することにより、再び低速で、しかもビーム径と発散角がともに小さくなったビームが得られる。これを繰り返せば、回折実験などに必要な高輝度単色ビームになる。(原論文1より引用)

 数eV程度の低速陽電子ビームを加速し、集束してモデレータ(再び減速するという意味でリモデレータと呼ぶ)に打ち込む。この際、陽電子が拡散距離程度の浅さに打ち込まれるように加速エネルギーを調節する。このようにすると、リモデレータ内部で減速・熱化した陽電子のかなりの部分が消滅しないで表面まで戻ってきて、負の表面ポテンシャルに押し出され、エネルギーと方向のそろった低速ビームとして再放出される。これをトータルでみると、エネルギーを変えることなく、ビーム径と発散角が小さくなっている。また、この場合の強度の損失は、スリットを使う場合などに比べてはるかに小さい。タングステン単結晶をリモデレータに使う場合には、約1/3の陽電子が再放出され、千倍程度の輝度強化ができるため、この過程を複数回繰り返すことによりマイクロビーム形成が可能になる。
  

コメント    :
 低速陽電子ビーム形成のキーテクノロジーはモデレータである。現在もっともよく使われているタングステンで、アイソトープからの白色陽電子線に対する低速陽電子への変換効率は10-3〜10-4程度である。いろいろ新しいモデレータが提案されているが、まだアイディアの段階であったり、実際に使ってみると論文に出ているようなチャンピオンデータを安定に再現できない場合が多い。劣化の少ない高効率のモデレータの開発が待たれる。
 

原論文1 Data source 1:
高強度低速ポジトロンビーム発生・利用技術
岡田 漱平、金沢 育三
日本原子力研究所 高崎研究所
応用物理 Vol.59, No.7 (1990) pp.917-927

キーワード:負の表面仕事関数、陽電子再放出、低速陽電子ビーム、陽電子モデレータ、輝度強化
negative surface work function, positron reemission, slow positron beam, positron moderator, brightness enhancement
分類コード:170101, 170105

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