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作成: 1997/12/06 伊東 芳子

データ番号   :170003
偏極陽電子ビーム形成技術の開発
目的      :サイクロトロンを用いる陽電子源の発生と偏極低速陽電子ビームの構築とその利用
研究実施機関名 :理化学研究所 サイクロトロン研究室
応用分野    :材料評価、表面磁性、光学異性体、ポジトロニウムスピン回転、陽電子スピン緩和のスパー内反応研究

概要      :
 β+放射性同位元素からの低速陽電子ビームは、スピンが縦方向に偏極しているという特徴がある。サイクロトロンを用いて短半減期β+放射性同位元素を発生させ、低速陽電子ビームを高強度に取り出し、スピンが関与する物質や現象の新しいプローブとして利用する。ビームの高強度化には、線源の開発が重要であり、流体ターゲットの開発が進んでいる。減偏極を最少にビームを輸送し、磁気クエンチングを利用した偏極度測定が行われている。
 

詳細説明    :
1.はじめに
 ベータ崩壊では、パリティ非保存によって放出される電子・陽電子のスピンが偏っており、その偏極度 P は
 
     P = v/c cos θ           (1)
 
のように速度 v に依存する。c は光の速度、θ は偏極度の量子化の軸がベクトル v となす角である。高いエネルギーで放出される陽電子ほど偏極度が 1 に近いので、スピン偏極陽電子を取り出すためには、放出エネルギーの高いベータ崩壊核種が望ましい。
 
 AVF サイクロトロンを用いてスピン偏極陽電子を取り出す研究が行われている。図に装置の1例を示す。


図1 A schematic view of the polarized positron beam line

 
2. 候補となる陽電子源(照射イオン・ターゲット)
 ターゲット(Ni, Si, Al, BN, Cu etc.)とプロトン、デュートロン、アルファービームとの組み合わせによる低速陽電子ビーム強度の比較実験が行われた。 一般に、 1μA のビームを照射すると、定常状態で数 G Bq の陽電子放出体が出来るが、ターゲット自身による陽電子吸収と幾何学的効率のために、 104 程度の低速陽電子収率になる。実験結果は、いくつかのターゲットで計算結果に近い値を得ている。
 
 小型サイクロトロンでは、最大 100μA 程度のビーム電流が得られるものがあるので、ここで行った実験結果からは、106-107 オーダーの低速陽電子ビームが得られることになる。ターゲットに陽電子が吸収される無駄を除去すれば、更にこれを上回る強度が得られるが、そのためには基本的に概念の異なる新しい方法が必要であり、ターゲットを気体、液体(窒素、炭酸ガス、水など)とし、生成したβ+崩壊性ラジオアイソトープを輸送して分離し、モデレータに接近した狭い領域に凝集させるという方法が試みられている。
 
3. 高スピン偏極度陽電子ビーム  
 β+崩壊性のラジオアイソトープを作る方法で、どのくらいの低速陽電子強度が得られるかの検討は重要であるが、 アルミをプロトンで照射して出来る27Siを用いて30数%の偏極度が得られている。よりスピン偏極度の高いビームとして取り出すためには、以下の要素を考慮して低速陽電子発生・輸送を設計する必要がある。
 
1) 後方散乱成分の除去 
 モデレータと反対の方向に放出された陽電子が(ターゲット中で)後方散乱して、モデレータに入ると、負のスピン偏極度を持ち込んでくる。これを妨げるために、原子番号の小さな材料(C, Al など)のターゲットが望ましい。気体ターゲット法を用いる方法では、ベリリウム箔をラジオアイソトープ保持のバッキングに用いれば、この問題に対しての最大の解決策となる。
 
2) 低エネルギー成分除去
 β+崩壊性ラジオアイソトープから放出される陽電子の低エネルギー成分をカットする。そのためには、陽電子源とモデレータの間にエネルギー吸収体として適当な箔を挿入する。
 
3) 減偏極を最小限にして低速陽電子を輸送する。
 
4. 陽電子スピン偏極度測定 (Positron Polarimetry)
 陽電子のスピン偏極度を測定するには、陽電子独特の性質を利用した方法がある。その一つは、陽電子はそのスピンと逆向きスピンを持った電子と選択的に2光子消滅し、同じ向きのスピンを持った電子とは消滅速度が 1/372 も遅く、かつ3光子消滅することを利用する。Hanna & Preston(1) による例では、磁化したFe に陽電子を打ち込んで2光子消滅の角度相関を測定し、磁化の方向を逆転させて比較すると、運動量の大きい成分に変化が現れることを観測した。これは異なる磁化の条件で陽電子に対して逆向きスピンを持った電子が異なるエネルギーバンドに属していることが原因である。この原理によって、磁化が分かっている磁性体を試料とすれば、陽電子のスピン偏極度を決定する手段とすることが出来る。
 
 もう一つの方法は、スピン偏極した陽電子が磁場の中で Ps を作ると、o-Ps likeな状態と p-Ps like な状態が、磁場の向きに依存して異なった割合で生じ、かつ o-Ps like な状態の寿命は m=1,-1 の o-Ps 状態に比べて短くなる。このことを利用したPositron Polarimeter では、 MgO や MCPA(Micro Channel Plate Assembly)などをターゲットとしてスピン偏極した陽電子をあてて Ps を形成させ、その寿命スペクトルを測定する。気体中で Ps 形成を起こさせて、磁場の強度を、混合された Ps がほとんど二光子消滅するが、混合された状態の寿命にまだ十分差があるように選ぶと、o-Ps like な状態から二光子消滅した成分は時間的に遅れて(十分減速して)いるので、運動量が小さい。このことを利用して、兵頭、長嶋(東大)らは気体中の Ps の運動量の時間的な変化を追う研究を行っている。同じ原理を陽電子の spin polarimeter に適用することも可能であろう。
 
5.応用
5.1 バルク磁性体
 フェロ-磁性体、フェッリ-磁性体のスピン偏極した電子のエネルギーバンドを角相関法、ドップラー幅測定法で行うことができる。
 
5.2 表面磁性
 金属の表面ではポジトロニウムの形成が可能であり、また電子のスピンに偏りがあれば、オルソ-、パラ-ポジトロニウムの生成比に差が生じる。これは低エネルギー陽電子ビームの表面選択性とスピン選択性を合成した感度の高い表面磁性研究法になる可能性が高い。
 
5.3 ポシトロニウムスピン回転
 100% 偏極したミュオンを用いたミュオニウムスピン回転は、既にミュオンの利用では定法となっているが、ポジトロニウムのスピン回転はごく最近実証されたばかりである。これはオルソ-ポジトロニウムが3光子消滅するときの放出面が回転することを利用する。従って、気相でしか用いられないが、エキゾチック粒子の研究の新しい側面ではある。
 
5.4 光学異性体
 アミノ酸やビタミンなどは、生物学的に活性な分子は光学異性体の片方のみが有効であることが分かっているが、なぜそのようになっているのかについていくつかの説があるが明らかになっていない。このような説の検証の意味もあって、スピン偏極した陽電子が光学異性体を識別することが出来るかどうかが重要な問題となり、これまでにも多くの測定がされてきた。スピン偏極度が高い高強度の陽電子ビームによって、この問題に答えが与えられることを期待したい。
 
5.5 陽電子スピン緩和のスパー内反応研究への応用 
  凝集状態の物質中では、Ps はスパーの中で生成するが、その前段階の陽電子はスパー中の電子やイオンと時期的な相互作用をしてスピン緩和を起こすであろう。従って、スピン偏極度が分かっている陽電子を反磁性媒体に入射して、ポジトロニウムを作らせ、異なるPsの状態の生成割合を測定してやることによって最終的な偏極度を測定してやれば、スパーの中でのスピン緩和の程度が分かる。これが可能になれば、スパー反応プローブとしての陽電子の役割は一層高まる。
 

コメント    :
 サイクロトロンを用いる本方法は、陽電子ビームの高強度化に関して電子リニアックを用いる方法には及ばないが、偏極ビームであることが特徴である。他にスピンの揃ったビームとしては、ミューオンが挙げられるが、その低速化はむつかしい。液体ターゲットを用いることによる線源の効率化、および測定技術の改良等の実現により、表面磁性等、スピンの関与する物質最表面層評価のための新しいプローブとして期待できる。陽電子ビームの高強度化に向けて多くの努力がなされている今、偏極陽電子ビームは高品質化をねらった次世代のプローブとなるであろう。
 

原論文1 Data source 1:
CONSTRACTION OF POLARIZED SLOW-POSITRON BEAMS USING A COMPACT CYCLOTRON
Tetsuro Kumita, Masami Chiba, Ryousuke Hamatsu, Masafumi Hirose, Tachishige Hirose,
Tokyo Metropolitan Univ., Depar. of Physics, Hachioji, Tokyo, 192-03, Japan
Appl. Surf. Sci., 116, 1(1997)

原論文2 Data source 2:
PRODUCTION OF SHORT-LIVED POSITRON SOURCES FOR SPIN-POLARIZED POSITRON BEAMS USING A 35 MeV α-BEAM
Yoshiko Itoh, Zhilin Peng, Akira Goto, Noriyoshi Nakanishi, Masayuki Kase, Konhou Lee, and Yasuo Ito
The Institute of Physical and Chemical Research(RIKEN), Cyclotron Lab., Wako 351-01
Nuclear Instruments and Methods in Physics Research, A 383, 272(1996)

原論文3 Data source 3:
Slow Positron Beam Production by Irradiation of P+, d+, He2+, on Various Targets
Yoshiko Itoh, Zhilin Peng, Kponhou Lee, Masashi Ishii, Akira Goto, Noriyoshi Nakanishi, Masayuki Kase, and Yasuo Ito
The Institute of Physical and Chemical Research(RIKEN), Cyclotron Lab., Wako 351-01
Appl. Surf. Sci., 116, 68(1997)

参考資料1 Reference 1:
Positron Polarization Demonstrated by Annihilation in Magnetized Iron
S.S.Hanna and R.S.Preston
Argonne National Laboratory, Lemont, Illinois
Phys. Rev., 106, 1363 (1957)

参考資料2 Reference 2:
Studies with Polarized Positrons
G.Laricchia
H.Kleinpoppen and W.R.Newell, eds., Plenum Press,“Polarized Electron/Polarized Photon Physics”pp.169-176(1994)

参考資料3 Reference 3:
Precision Measurement of Positron Polarization in 68Ga Decay Based on the Use of a New Positron Polarimeter
G.Gerber, D.Newman, A.Rich, and E.Sweetman
Randall Laboratory of Physics, The University of Michigan, Ann Arbor, Michigan 48109
Phys. Rev., D15, 1189(1977)

参考資料4 Reference 4:
Measurement of the Longitudinal Polarization of Positrons Emitted by Sodium-22
L.A.Page and M.Heinberg
University of Pittsburgh, Pittsburgh, Pennsylvania
Phys. Rev., 106, 1220(1957)

キーワード:偏極陽電子ビーム、Polarized Positron Beam,陽電子線源、Positron Source, 偏極低速陽電子、Polarized Slow Positron, 18F
分類コード:170101, 170102, 170104

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