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作成: 1998/01/06 三角 智久

データ番号   :170002
陽電子消滅励起オージェ電子分光法による材料最表層の観測
目的      :低エネルギー陽電子を用いる表面分析・評価の新たな手法
研究実施機関名 :電子技術総合研究所、Texas大学Arlington校、Brookhaven国立研究所
応用分野    :材料表面の分析・評価

概要      :
 陽電子と内殻電子との対消滅の結果生ずるオージェ電子のエネルギー分布を調べることによって、物質表面に存在する微量元素を分析することができる。このことは、かなり以前から認識されていたが、実現したのは僅か10年ほど前のことである。この方法は物質最表層の極微量元素を検出できるが、極短時間幅の低エネルギー陽電子ビームを形成し、制御するという高度な技術が必要であり、世界的にも極少数の研究機関が手がけているに過ぎず、今後の発展が期待される。
 

詳細説明    :
 各種材料表面の元素分析を行う手法の一つに「オージェ電子分光法(Auger Electron Spectroscopy, AES)」がある。これは、図1(a)に示すように、数keVのエネルギーを有する電子(あるいはX線)によって表面原子の内殻電子を叩き出すと、その抜けた跡に価電子帯から電子が落ち込み、余分なエネルギーで外殻の電子(オージェ電子)を弾き出す現象を利用するものである。
 
 陽電子を物質に入射したとき、その陽電子が内殻電子と対消滅を起し、その抜け孔に価電子帯から電子が落ち込むことによってオージェ電子が発生する確率もあり、このオージェ電子のエネルギーを分析することによって表面物性を観測・評価することが可能で、この方法を「陽電子消滅励起オージェ電子分光法(Positron annihilation induced Auger Electron Spectroscopy, PAES)」と呼んでいる。この様子を図1(b)に示す。この場合、陽電子は数十eVという低エネルギーであっても内殻電子と対消滅を起すことが可能であるため、二次電子によるバックグラウンド信号の無いスペクトルが得られ、オージェ電子のピークを直接的に観測できる。また、陽電子は物質の内部に入っても、拡散によって表面まで戻ってきて最表面で消滅する確率が高いため、通常の電子ビームを用いるオージェ分光法(Electron induced Auger Electron Spectroscopy, EAES)よりも遥かに表面状態に敏感で、表面感度の極めて高い測定が可能である。


図1 電子励起オージェ電子分光法(EAES)及び陽電子消滅励起オージェ電子分光法(PAES)(原論文1より引用。  Reproduced from Data source 1 copyrighted in 1990 by American Vacuum Society, and with kind permission from the copyrighter.)

 このようなことが可能であることは以前から認識されていたが、実際にCuやNiに低速陽電子ビームを入射してオージェ電子を観測することに成功したのは、Texas大学及びBrookhaven国立研究所の合同チームが初めてであった(原論文2)。同チームは現在も積極的に研究を続けている。
 
 電子技術総合研究所では、1986年から電子リニアックを使用して高強度の低速陽電子ビームを発生させて種々の物性研究に利用する研究を開始した(原論文3)。その研究の成果として、低速陽電子パルス幅拡張装置、陽電子極短パルス化装置、エネルギー可変陽電子寿命測定装置などを試作してきたが、1992年頃からは短パルスビームを利用してPAES装置の開発にも着手し、図2に示すようなものを試作した(原論文4)。これは、試料への入射陽電子ビームが短パルスであることを利用して、飛行時間法によりオージェ電子のエネルギーを分析するもので、途中に設置した飛行管の電位を低下させて、特定のエネルギー領域を拡大して観測することによってエネルギー分解能を向上させている。


図2 A schematic of the high-resolution TOF-PAES apparatus.(原論文4より引用。  Reproduced from Data source 4 copyrighted in 1997 by Elsevier Science, and with kind permission from the copyrighter.)

 この装置による測定の一例として、MoS2の劈開面から得られるオージェ電子のエネルギー分布を図3に示す。試料槽に6x10-4 Torr・sec(600 Langmuir)のO2ガスを導入すると、PAESスペクトルにはO原子によるオージェピークが明確に観測される。これに対して同じ処理を行った表面をEAESで測定すると、O2ガスを導入しても、清浄表面でのPAESスペクトルと同様の結果となり、O原子のピークは全く観測されない。このことは、PAESが通常のEAESに比べて極めて表面感度の高い測定法であることを明瞭に示している(原論文5)。


図3 MoS2の劈開面でのPAESスペクトル(原論文5より引用。  Reproduced from Data source 5 copyrighted in 1996 by Elsevier Science, and with kind permission from the copyrighter.)

 このように、PAESは最表面に極めて敏感であることから、各種材料の表面に付着する微量不純物元素の検出が可能であり、低速陽電子ビームを二次元的にスキャンすることによって、表面に存在する、厚さが単原子層以下のステップ状の構造変化も観測できるものと期待されている。
 

コメント    :
 EAESでは、電子エネルギーは数keVが必要であるのに対しPAESでは数十eVの陽電子でオージェ効果を起すことができるため、材料最表面に極めて敏感であり、材料表面の損傷が小さいばかりではなく、オージェピークの周辺に散乱電子や二次電子によるノイズの無いスペクトルを得ることができる。ここで紹介したPAES装置のエネルギー分解能は、Texas大学などのグループによるものよりは高いが、通常のEAESの分解能にはまだ及ばない。入射陽電子ビームの単色性を向上させることによって分解能を一層向上させれば、最表面原子の結合状態や電子状態などを詳しく調べることができると期待される。
 

原論文1 Data source 1:
Elimination of the Secondary Electron Background in Auger Electron Spectroscopy Using Low Energy Positron Excitation
Alex WEISS, David MEHL, Ali R. KOYMEN, K. H. LEE, and Chun LEI
The University of Texas at Arlington
J. Vac. Sci. Technol., A8(3), May/Jun, 2517(1990)

原論文2 Data source 2:
Auger-Electron Emission Resulting from the Annihilation of Core Electrons with Low-Energy Positrons
A. WEISS(1), R. MAYER(2), M. JIBALY(1), C. LEI(1), D. MEHL(1), and K. G. LYNN(2)
(1) University of Texas, (2) Brookhaven National Laboratory
Phys. Rev. Lett., 61, 2245(1988)

原論文3 Data source 3:
電子技術総合研究所低速陽電子施設の概要
三角 智久*、鈴木 良一*、千脇 光國*、山崎 鉄夫*、冨増 多喜夫*、千葉 利信**、赤羽 隆史**、塩谷 亘弘***、谷川 庄一郎****
*電子技術総合研究所、**無機材質研究所、***理化学研究所、****筑波大学
放射線, 15(2), 78(1988)

原論文4 Data source 4:
An Apparatus for High-Resolution Positron-Annihilation Induced Auger-Electron Spectroscopy Using a Time-of-Flight Technique
OHDAIRA Toshiyuki, SUZUKI Ryoichi, MIKADO Tomohisa, OHGAKI Hideaki, CHIWAKI Mitsukuni, and YAMAZAKI Tetsuo
Electrotechnical Laboratory
Appl. Surf. Sci., 116, 177(1997)

原論文5 Data source 5:
High Sensitivity of Positron-Annihilation Induced Auger-Electron Spectroscopy to Surface Impurities
OHDAIRA Toshiyuki, SUZUKI Ryoichi, MIKADO Tomohisa, OHGAKI Hideaki, CHIWAKI Mitsukuni, YAMAZAKI Tetsuo, and HASEGAWA Masataka
Electrotechnical Laboratory
Appl. Surf. Sci., 100/101, 73(1996)

参考資料1 Reference 1:
Positron Annihilation Induced Auger Electron Spectroscopy
A. WEISS
The University of Texas at Arlington
Materials Science Forum, 105-110, 511(1992)

参考資料2 Reference 2:
低速陽電子ビームを用いた陽電子寿命測定および陽電子消滅励起オージェ電子分光
鈴木 良一
電子技術総合研究所
まてりあ, 35(2), 147(1996)

キーワード:陽電子,positron,低速陽電子,slow positron,陽電子消滅,positron annihilation,オージェ電子分光,Auger electron spectroscopy,表面分析 characterization of surfaces,飛行時間法,time-of-flight method
分類コード:170103, 170201

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